ガエル記

散策

『犬王』湯浅政明

アマプラにて再鑑賞です。

 

とても好きな作品です。

他の方のレビューを見ると否定意見が多くその意味合いも納得できたりもするので困るのですが、その上でも良いなと思ってしまう派です。

なんといっても時代が似ている上に演じる毎に身体を取り戻してしまう、というのはどうしたって『どろろ』と重なってしまう。しかもその原因が父親の呪いだったというのまで同じだとすると。

私は『どろろ』好きなので普通ならばそこだけで一蹴してしまいそうだけど。

とはいえ「父親の呪い」と言うやつは現実非常に多いものなのではないだろうか。

どろろ』では武士として本作ではクリエイターもしくはアーティストとして。

湯浅監督はもしかしたら手塚治虫というよりは宮崎駿父息子を重ねていたりはいないだろうか。

(いやあの息子氏は父を越えてはいないだろうが父親の息子への怨念は充分に感じられた)

湯浅監督は年齢が近いせいか私が観てきたものと被っているのも面はゆい。犬王が躍る振付があれやこれやと元ネタが解ってしまうのは致し方ない。

観客が若い人であればこの素晴らしい振付に感動し後でネタを知ってまた感動するのだろう。

 

松本大洋氏のキャラデザも私にとって非常に心地よい。

湯浅監督は絵柄に関しては流行りものから外してくるのが嬉しいところでやはりここが好きになってしまうのだと合点します。

 

異形の踊りて・犬王とめしいの奏者・ともありの長い時を経てつながる友情物語。

ここにも今まで観てきたさまざまな映像を重ねてしまいながらやはり良いと思ってしまう。

すぐに思い出したのは『王の男』

韓国映画。王の前で演技をした旅芸人。美しい若者が王の寵愛を受けることになる。常に彼の相方であり親友であり兄弟でもあるもう一人の男はその様に胸を焦がす。

が、権力者の前で何の力もないふたりだがそのつながりは死をもいとわなかった。

湯浅監督は絶対これを観ていると思うのだけど。

 

「退屈だ」という声も散見したのだけど私はどういうものか胸が疼くように観てしまってとても退屈をしていられないのです。

 

やっぱり子ども姿に戻ったふたりの掛け合いが良い。

これを観るだけで泣きそうな気持になってしまう。

「退屈だ」「つまらない」という意見が多い同じ作品にこうも胸が締め付けられるような気持ちになってしまうのはいったいどういうからくりなんだろうか。

同じ世界観を持つ、というのはあるのだと思います。