ガエル記

散策

「ロリアニメは女性を恋愛不全にするか」Ⅰ

 先日岡田斗司夫さんのニコ生放送で過去動画を流されていたのですがその中で

「ロリアニメは女性を恋愛不全にさせる」

という定義が示されていてそれに続く説明を興味深く聞きました。

ここでいう「ロリアニメ」というのは幼女向けに作られた可愛い女の子が出てくるアニメ、例えば「セーラームーン」や「プリキュア」のような感じの作品です。


放送中に「ここですぐに結論が出せる話でもないし、後々ゆっくり考えていけばいい」という感じになり話は他に移ってしまいましたが、ここで私なりにこの問題を考えてみたいと思います。

 

岡田さんの説明で凄いな、と思ったのは彼自身男なのでどうしてもアニメ問題を男性中心に考えてしまう。実際様々な男性の引き起こした犯罪がアニメが原因である、という定義は今まで数多く問題になってきたわけです。

特に可愛い女の子が出てくる幼女向けアニメを男性オタクが観て「萌え」と喜んでいたとしても、実際はそれ以上にターゲットであった女性たち自身に深い影響を与えてきたのではないか、という推察でした。

確かにアニメだのオタクだのという問題が持ち上がる時、ほぼすべて男性への問題提議になっているのですが、アニメは女性も同じように見ているわけですし、しかも女性向けアニメが女性たちにどのような影響を与えているのかは男性の起こす犯罪と違って目につきにくい深い部分に浸透していっているように思えます。

 

それでは「ロリアニメ」「幼女向けアニメ」の影響とはなんなのでしょうか。

それにはまずどういう経路で幼女向けアニメが生まれてきたかを考えていく必要があるでしょう。

さて一所懸命記憶をさかのぼってみます。

 

まずテレビアニメで生まれたのは手塚治虫による「鉄腕アトム」などの少年向け、つまり男性向けアニメです。手塚氏はこの中でウランちゃんという可愛い女の子ロボットをちゃんと登場させてくれるわけですが、主人公がアトムという男子ロボットであり女子ロボットはどうしても添え物でありアトムに守られる存在、という表現になってしまいます。

つまりこれをその頃の男女は「男はかっこよく強くあるもの、女は可愛く守られるもの」という教義をアニメから学ぶわけです。

他のアニメでも主人公はほぼ男子であり女子は彼を可愛い顔で励ましいたわり応援する存在として描かれていました。

 

日本アニメ史を見ると初めての女子向けアニメは「魔法使いサリーちゃん」となっています。私も熱心に観ていたひとりです。今思い出しても素晴らしいアニメだったと思っています。

 しかしここで気になるのは最初から女子アニメが「魔法使い」だったことです。

腕力でも知性でもなく「魔法」というこの世に存在しない力を使わないと女子が戦うことは無理だった、ともいえるのです。

物語自体は良質なものでしたがここですでに「魔法使い」というアイテムが使用され今に至るまで女子の唯一の武器となってしまったことは一種の呪いなのではないでしょうか。続く「ひみつのアッコちゃん」の魔法のコンパクトが女性の持つ鏡付きの化粧コンパクトであることも女性への呪縛を強めてしまいました。私自身子供時代とても憧れたわけですが、化粧コンパクトが魔法につながるというこの呪縛は怖ろしいとさえ思います。

一方、手塚治虫氏は「リボンの騎士」で女性が男性に変身して活躍する、という魔法ではない戦い方を示してくれました。

本音を言うとこのヒロイン・サファイヤにそれほど共感をすることはできませんでした。前述の魔法のほうがより強い羨望を感じさせてくれたと私は思っています。

その後登場する「アタックNO.1」は引け目のない堂々たるヒロインアニメです。そこには魔法も超能力もなく普通の女子としてバレーボールに青春を打ち込む情熱と行動が描かれていました。

この作品で初めて少女向けアニメの原作者が女性作家となり、本当の女性作品と言えるのかもしれません。

(先にアニメとなった「サザエさん」は女性原作者ですがここでは女子向けアニメという事で語ります)

アニメ史を見ているとやはり主要なものはほぼ男子向けです。私もやはり男子向けアニメが大好きでそのことに不満は感じていませんでした。

海のトリトン」「マジンガーZ」など夢中になって観ていてさやかちゃんが脇役的に女性型ロボットに乗ることにも納得していたと思います。

ガッチャマン」などのように男性ばかりのチームに彩り的に女性が一人配置されることも仕方ない現実として受け入れるしかありませんでした。

まだしもチームの一員になっていることは女性としてひとつ段階を上っていたのかもしれません。それ以前はチームの中にはいることもなく医療班だとか食事係だとかに設定されてしまうのがせいぜいだったでしょう。それ以前はそれらも男性で女性は家事をやっていたはずです。

それにしても「宇宙戦艦ヤマト」であの男性数に女性一人はさすがに驚きましたが。

 

しばらくして訪れた「キャンディ・キャンディ」原作マンガはかなり読みましたがそれでも途中までで私的には好きな作品ではありませんが、女性が原作であり、魔法などなしに女子が自分の力で活躍していく、というスタイルはやはり評価すべきですね。

スポーツものというカテゴリでもないのですが舞台が外国で日本人ではない少女という設定は少女マンガならではの一種の弱点になってしまうのです。

どこの国でもそうなのかもしれませんが日本において特にその当時外国が舞台で主人公が外国人というのは男性に受け入れてもらえない絵空事、というレッテルが貼られてしまいがちでした。

まあここでは女子が受ける影響を語っているので一般受けがどうなのかは置いとくとしましょうか。

さほど可愛くない、そばかすだらけで鼻ぺちゃの女の子かっこいい男子との駆け引きをしながら大活躍するという物語は女子たちから絶大な人気を得ました。

しかし私は不満だったわけです。

 

わたしが大好きになり憧れたのは「キャンディキャンディ」ではなく『ルパン三世』の峰不二子でした。

「ルパン」放送は最初が1971年で当時私は8歳ですからさすがにリアルタイムで観てはいないと思うのですが、あの頃はなんども再放送というのがありましたからそれで観ただろうと思います。

峰不二子の登場はそれまでのどのヒロインよりも強烈なインパクトがありました。

最高の美貌とナイスバディ、頭がよく運動能力にも優れルパンという男の助けをまったく必要としていない気の強さ、気高さ、彼女の存在はそれまでのすべてのヒロイン像を打ち砕いてしまうものだったのです。

 

そうです。峰不二子こそ「ロリアニメ」のヒロインの元になる女性であるのです。

美しく可愛く強い女性。

男に助けを求めない、守られる必要などない自立した女。

 

不二子に憧れた少女たちはたくさんいると思います。

 

続きます。