海外ではどうなのか知りませんが、日本のアニメでは男子が戦隊もの、女子は魔法使いもの、という定番が長い間続いています。
この繰り返しの理由は様々あるのでしょうが、すぐに思いつくのはテレビアニメ制作側が「男子はコレ女子はコレ」と決めたものがやはりある程度視聴率がよく親もジェンダーに合っていると思い込みやすくスポンサーもおもちゃを売るためにつきやすい、という利点が単純にあるからなのでしょう。
私が小さな女の子だった時期の女子向けはそれこそ元祖魔女もの『魔法使いサリー』でした。それ以降女子向けは魔法使い・魔女ものが繰り返されていくことになります。私たちの頃は再放送が多かったので記憶はそれによるものが大きいのですが『サリーちゃん』だけはやたら覚えています。
その頃はアニメ作品の数自体が少なかったこともあって私も『サリーちゃん』『アッコちゃん』とそれに続く魔女ものは必然的に観てはいましたがある時期からはまったく観なくなりました。
というのは私はそれらよりも『サスケ』『妖怪人間ベム』『ゲゲゲの鬼太郎』など一般には男子向けとされているもののほうが好きだったからでもあります。
女子向けならバレーボールにかけた女子スポ根もの『アタックNo.1』のほうはめちゃくちゃ夢中になって観ていたのですがいわゆる「魔女っ娘もの」にはサリーちゃん以外熱心に観たものはありません。『アッコちゃん』になると子供心にも好きになれませんでしたし、それ以降は子供ながらに軽蔑していたのを覚えています。中には憎悪すら感じる作品もありました。
しかし魔女っ娘ものは今でも続いていますし私の「魔女っ娘嫌い」もいまだに続いています。
なぜ「魔女っ娘もの」はいまだに続いているのでしょうか?
そしてなぜ私は子供時代からこうも「魔女っ娘もの」が嫌いなのでしょうか?
いやイメージとしての「魔女」は嫌いではなくむしろ憧れさえするのですが日本のアニメの魔女っ娘にはそれが感じられないのです。
それがなぜなのかをちょっと考えてみました。
私が子供時代特に好きだったのは白戸三平原作のアニメ『サスケ』や『カムイ』などでした。それらと比較しているとおのずと答えがわかってくるようです。
人生には困難が必ずあります。アニメの中でも実際にでも。
その困難を前にした時、魔法使いなら魔法で解決してしまいますが、サスケやカムイなどの忍者は自分の知恵で工夫してその困難を回避、克服しなければなりません。
では実際に困難に自分が出会った時、どちらが役に立つのかといえば忍者の知恵のほうです。
どうやら子供時代の私は「魔女っ娘物」は何の役にも立たない、と感じたのでした。
『サスケ』では昆虫が光の方向へ飛んでいくことや水をろ過することで安全に飲めるということを教えてくれましたが魔女っ娘ものを観ても魔法は使えるようになりません。
もちろん魔女っ娘ものが好きな人は「これらの作品の価値はそこにあるのじゃない。もっと感情の触れ合いや愛や友情を語っているのだ」というのかもしれませんがそれはほかのカテゴリでも語れることです。もちろん『サスケ』のなかにも存在します。
大人になってから「魔法」ということを考えるのは一つの娯楽としていいのかもしれませんが子供時代に「魔法」を願うのは馬鹿々々しいというより空しくもあり無意味にも思えます。
子供時代にはより具体的に「役に立つ情報」を教えてもらいたいのです。(と子供の私は考えていました)
魔法でご飯を炊いてしまうより米をどのくらいの時間水に浸し、どのくらいの水で炊けば美味しくできるのかを教えたほうがマシだし、ケガをした時どうすればいいかとかを学ぶほうが有意義です。
いまだに続く「魔女っ娘シリーズ」私は子供時代からの懸念がぬぐえません。
むしろ「忍者娘シリーズ」を始めたほうがいいのではないでしょうか。(くのいち、というとどうも悲惨な運命が待っているようで気後れします)
「魔女っ娘ものは悪くない」という反論はありましょうが私は日本らしい「忍法もの」を推奨したく存じます。
知恵と技。子供時代には役に立つものを教えて欲しいのです。(と子供の私は思っていましたよ)
スポ根ものでもどんなジャンルでもふわっとした奴じゃなく具体的に説明してくれる話のほうが面白いと思うのです。子供時代に覚えると一生役に立つ!