やっと普通に面白い映画にたどり着きました。といっても岡田斗司夫氏推薦で観たっていう実情ですが。さすがにその価値ありました。そしてマジでシャマラン監督追いかけてみようと今更ながら思い始めました。
以下ネタバレしますのでご注意を。
岡田氏のシャマラン監督解釈は「ワンアイディアで面白い映画を作ってしまう」と言うものでした。確かにその通りで本作も
10代の姉弟が一度もあったことのない祖父母の家に一週間泊りがけで会いに行くのだが、そこで体験したことはとんでもないことだった。
というワンアイディアなのでしょうけどさすがにそれだけではないわけですw
すぐに感じたのはこれは皆が幼いころに読んで怖い思いをしたお伽話をモチーフにしている、ということですね。
お母さんに頼まれておばあさんに家に会いに行く、というのはこれはもう単純に『赤ずきん』の話です。あの話もなんとなく赤ずきんちゃんはおばあさんの顔を知らないようです。
しかもおばあさんだと思っていたらじつはおばあさんの格好をした狼だった、というあらすじはそのまんまと言っていいでしょう。違うのは赤ずきんちゃんとおばあさんがどちらも異性のふたり、ということです。
そして「あばあさんのお耳ってなぜそんなに大きいの?」という部分が「おじいちゃん、おばあちゃんってなぜあんな変なことをするの?」って変わっているわけです。
元話では「お前の声がようく聞こえるようにだよ」というのが「二人とも認知症なのよ」という現代的理由に変わっています。
ところでここで「日没症候群なのよ」という言葉が出てきて「またまた適当な造語を」と笑っていたらこの症状は本当にあるのですね。これには驚きました。ほんと年取るって大変ですわ。さすがに夕暮れになると怒りっぽくなるっていう病状はまだ未経験です。
まじで本当に怖いのは人間そのもの(おばけではない)ということですね。
しかしこの物語は途中でちょっと違うものが入り込んでくるのです。
それが『ヘンゼルとグレーテル』です。
それはおばあさんが孫姉のほうに
「かまどの中を掃除してくれないかしら」
と頼むことで解ります。
この作品の中でも最もサスペンスフルな場面ではないでしょうか。
『赤ずきん』で始まったこの物語はここから『ヘンゼルとグレーテル』に変化していきます。
赤ずきんちゃんは狼に質問するだけですっかり騙され食べられてしまうのですがヘンゼルとグレーテルは違います。
ふたりは力をあわせて魔女のおばあさんをやっつけて助かります。しかもおばあさんを手にかけたのはグレーテルのほうでした。
『赤ずきん』がモチーフと見せかけて姉弟だったのは途中から『ヘンゼルとグレーテル』になってしまうからです。
元話のヘンゼルは太らせて食べようと魔女から檻に入れられますが本作でもとんでもない酷い目にあってしまいます。
そしてやっつけたのが女子の方だったのも同じですね。
最後には男子たる力を見せることができますが。
ところで『ヘンゼルとグレーテルの真実』という話があります。
お伽話で魔女とされて殺されたおばあさんは本当は良い人なのに様々な理由で魔女と言われて森の中に住むしかなかったのを子どもふたりが殺して嘘をついた、というものです。
人種的な理由だとか医学に詳しいので魔女とされたとか色々なことが昔はあるわけです。それを異常な性格のこどもたちが悪ふざけで殺した、のをグリム兄弟が脚色して童話にしたのだというのです。
本作でシャマラン監督はこの要素は含めてないように思えます。しかし本作でも母親や警察が駆け付けたのはすべてが終わってからのことです。
とはいえ姉弟が悪ノリで老人たちを殺した、という話にしてしまうととりとめがつかなくなってしまうので童話どおりで収めたのでしょうか。
とても面白い作品でしたがそれを越えて様々に考えてしまう要素があります。
老人も怖いけど子供も怖い。
何もかも怖い。