諸星大二郎マンガに『流砂』という作品があります。1982年発表のものですが私は『ぼくとフリオと校庭で』という単行本で読みました。
以下ネタバレしますのでご注意を。
この本はとても面白い作品が詰まっています。あとがきに作者氏が「気に入ってるものが多い」と書かれているのも頷けます。
特に『流砂』はリアルSFとでもいうのでしょうか。近い未来の物語のようで日本人の古くからの特徴をシニカルに描いた作品と言えます。
ところで『進撃の巨人』を私はアニメになってから初めて知ったのですが最初に思い重ねたのが諸星氏のこの『流砂』でした。
『流砂』には壁はないのですが砂漠によって閉じられた小さな町で誰もそこから出ていこうともせず入ってもこない、というのが重なったのです。
そしてもう一つ『ぼくとフリオと校庭で』には『影の街』という作品が収録されていてこちらはそれこそ「人を食う巨人」が出てきます。
しかもその巨人が実は自分・・・?という話なのですね。
さていったいこのイメージの重なりは偶然なのか別に何の関係もないのかどうなのか?
などと書くと『進撃の巨人』をあげつらっているようですが私はむしろとても良いイメージの影響だと考えています。
もし『進撃』の作者氏が影響を受けたのだとしても(もちろんわかりません)それは当たり前のことです。『進撃』はそこだけの面白さなのではないのですから。
もっといえばまだまだ多くのいろいろな作品から影響を受けているはずですね。
私は『進撃の巨人』がとても好きなので諸星大二郎氏作品からの影響があったとすれば面白いなと思って書いています。
さらに諸星氏『壁男』に収録されている『夢の木の下で』は氏自身の『流砂』のアイディアを書き直したように思えます。
今度は主人公が若い女性になっていて設定はまったく違うものになっているのですが今度は「壁を越えていく」という、より『進撃』をイメージさせる話になっています。
さらにさらに同著には有名な『カオカオ様が通る』が収録されていて意思もなく通り過ぎていく巨人、という不思議な存在は再び『進撃』の巨人と重なります。
それにして凄いのは諸星大二郎はこうした記憶に残って離れない短編を幾つも描いているということです。
対して『進撃の巨人』はよくもあれほど複雑な物語を長く描けるものだと感心します。
両方を楽しむことができるのはマンガ読みにとって幸福なことでありますよ、と記したいのです。