ガエル記

散策

『進撃の巨人』再読・再観 34巻(終)まで アニメは一年後(?)

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進撃の巨人』完結です。アニメは来年まで持ち越しになりましたね。まああの密度のクオリティで今回最後まで行くのはいくら何でも無理でしょう。むしろ来年まで夢が見れる、と思うのです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

ラストについて、様々な意見があるのでしょうが私はあれ以外あれ以上の最後はないのでは、と思っています。諌山創氏の創作原動力となったであろう「人は何故戦うことをやめられないのか」という思いを物語にするのならやはり最終章はこれ以上ない大きな戦争であり殺戮であるだろうだからです。

そして諌山氏の物語は様々な部分で「これまでとは違う」方向性を描いています。私は最後まで諌山氏のそうした思いを感じています。

 

昨日『進撃の巨人』は『デビルマン』を意識しているのではないか、と書きました。

デビルマン』を模した、のではなく『デビルマン』を元にして考えを進めていったのではないか、と思えて仕方ないのです。

デビルマン』では悪魔と人間の合体は自己を失ってしまった時に悪魔が人間に入り込む、ものでしたが『進撃の巨人』ではむしろ意識的に巨人を継承することになります。

デビルマン』では悪魔の力を持った不動明と陰謀を持つ飛鳥了というふたりが人類を滅亡へと導きますが『進撃の巨人』ではエレンひとりがその両方の役割を果たしていきます。

デビルマン』では不動明に「ミキ」ちゃんというガールフレンドがいます。彼女は気が強くけんかっ早い魅力的な少女ですが普通の人間であり最期狂気の人間たちに襲われ首を切り落とされてしまいます。不動明は「ミキ」の頭を抱きしめサタンとの戦いを誓います。

進撃の巨人』では最強の少女「ミカサ」が悪魔の化身になったエレンの頭を抱いて口づけをする、といういわば『デビルマン』の逆になっています。

少女が愛する男性の頭を切り落とし(させ)口づけをする、というエピソードはサロメとヨカナーンを思わせますが最終戦争という背景から私は『デビルマン』を想像したのでした。

名前をわざとカギかっこしたのは「ミキ」と「ミカサ」という名前も類似しているからです。

そして『デビルマン』では不動明が「ミキ」ちゃん一家に居候してるのですが『進撃の巨人』では「ミカサ」がエレン一家に居候していましたね。

 

まあ単なる奇妙な一致かもしれません。

 

 

進撃の巨人』は様々な意味で「これまでの物語」を覆してきたと思えます。それらがすべて今までにない初の、というものではないでしょうが意識的に諌山氏は取り入れていったのでは、と感じています。

ひとつには、というか私にはそれがとても重要で大きな題材ですが「女性キャラの重要性」です。

 

いえば『デビルマン』でも「ミキ」ちゃんはケンカに強い活発な女の子として描かれているにも関わらず結局は「普通の人間」であり不動明デビルマンの物語には組み込まれないのです。

他の多くの作品でも男性キャラが戦い、女性キャラは「待っている存在」として描かれがちでしたが『進撃の巨人』の女性キャラは男性と同じく戦うキャラとして参加していきます。例外的に強い女性キャラが数人いるのではなく男性女性が同等に兵団にいる世界観です。

その女性キャラが容姿も性格も才能も類型的ではなく多彩であるのは驚きでした。

最強で一途なミカサ、まではあるとしても同じく強くてクールビューティ・アニ、実は世界一悪い子である可愛いクリスタ=ヒストリアまでは解るとしても食い意地のはったサシャ、そして不思議な不細工少女ユミル。

このユミルの造形はどこからきたのでしょうか。物語最高の美少女であるヒストリアと相思相愛関係にありながら巨人になった姿も不細工で悲壮な運命のユミルは他の少年マンガではお目にかかれないキャラです。

私が一人思い起こすのは少女マンガで山岸凉子描く『アラベスク第二部』に登場するヴェータです。スヴェトラナ・エフレモアという田舎者で気の荒い痩せた少女は粗暴さという以外にユミルとはさすがに類似点も見出せませんがそもそも日本のマンガに少ないキャラクターであるとは言えます。

諌山創氏が『デビルマン』ならともかく70年代少女マンガを読んだとは考えにくいとも思えますが他には思いつきもしません。(それはそうと『デビルマン』は1972~3年作品『アラベスク第二部』は1974~5年作品という近い年代だと今知った。私自身リアルタイム読者ではありません)

 

進撃の巨人』ラストでの衝撃は案外「始祖ユミルはフリッツ王を愛していた」ことがすべての元凶だった、ということだったりします。

なぜ始祖ユミルが奴隷だった自分を惨たらしい目にあわせたフリッツ王を愛していた、という設定にしたのか、そして始祖ユミルが死後2000年待って現れたのが「ミカサ」だった、というエレンの言葉の意味を諌山氏は細かく説明はされていません。

しかしこれはどう考えても「歪んだ愛し方」をした始祖ユミルの呪いを同じように「歪んだ愛し方」をしていたミカサが最後の最後でその呪いを断ち切った、と解釈していいのではないでしょうか。

盲目的にエレンを愛してきたミカサをエレンは「大嫌いだった」と突き放します。

その言葉は「エレンの嘘だった」とも言えますが同時に本気だったとも言えます。

ミカサは始祖ユミルの犯した過ちを繰り返してしまうところだった。

始祖ユミルが巨人化した後も奴隷としてフリッツ王に従ったように最強の戦士ミカサももう少しで悪魔化したエレンの手先になりもうひとりの始祖ユミルになってしまったのかもしれない。しかし現代っ子ミカサは自立する道を選択した。

愛するがゆえにフリッツに従属した始祖ユミルに対し、ミカサはエレンを愛するがゆえに断ち切ったのです。

 

となれば『進撃の巨人』は女性のための物語だったのです。

 

ミカサが悪魔になったエレンを嫌う必要はない。愛しながら断ち切った時ミカサは本当に同等にエレンを愛し得たのです。

 

物語を最初読んでいた時から諌山創という作家はどうしてこうも女性を描けるのだろう、と驚きながら感動していましたが最後の最後まで『進撃の巨人』は女性を描いた作品であった、と思っています。

人類は繰り返し戦争をせずにいられない歴史の中に女性たちは苦しみ続けてきました。その女性を写したのが始祖ユミルでありミカサだったと思っています。

 

最後の場面で巨木を見る子どもは誰なのでしょうか。

この子の物語が語られる日は来るのでしょうか。