ガエル記

散策

『進撃の巨人』再読・再観 32巻まで アニメシーズン5 エピソード12(終)まで

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現実の戦争を目の当たりにしながらこの作品を読み観ることはあまりにも恐ろしく悲しい。

二度の大戦を経て数えきれないほどの戦争を体験しそのたびに多くの人々が傷つき死んでしまい故郷が破壊され嘆く姿を見て「戦争はいけない」「戦争を二度と起こさない」と涙を流しながらまたもや同じ過ちを繰り返している。

 

諌山氏は『進撃の巨人』を描くことでそうした人類の愚かさを再現した。一種のヒロイックファンタジーとして読み始めたはずなのにいつしか人類の戦争歴史教室に座らされてしまった。恐ろしくてたまらないのに席を立つことができない。それでも・・・現実に殺戮の中にいる人々とは比べ物にならないではないか。それは誰だってわかっている。

現実はマジで狂気に満ちていて残酷なのだ。ほんとうのほんとうに戦争がなくなる日はくるんだろうか。

 

 

 

 

ネタバレしますのでご注意を。(『デビルマン』のネタバレもしています)

 

 

 

 

永井豪氏の著作に『デビルマン』があります。

人間と悪魔が合体して生まれるデビルマンという発想は『進撃の巨人』の巨人を思わせます。

デビルマン』では主人公不動明デビルマンとなるのですがそれはすべて親友の飛鳥了=サタンの陰謀だったという物語です。

並外れたすばらしい発想のマンガ作品ですがなぜか最終戦争ともいえるデーモン対サタンの戦争場面は描かれないまま最期を迎えます。もちろんそれが永井氏の表現だったのだとも言えます。

 

進撃の巨人』はその『デビルマン』をもっと現実的(巨人が現実的というのも奇妙ですが)に構築していき最終戦争まで描き切った作品とも思えます。

永井豪氏は『バイオレンスジャック』という作品で関東地方が日本から切り離された独立の地帯になったら、という発想もされていてこれも幼いエレンたちが住んでいたパラディ島を思わせます。諌山氏が永井豪氏の作品を読まれていたかは知りませんがもしそうではないのなら非常によく似通った感性と思考をされたと言えます。

 

とはいえこうした共通点は『進撃の巨人』という作品のほんの些末な部分としか言えません。

この作品を作りあげるためにどれほど多くの知的経験が基礎になっているかと考えてしまいます。

 

ところで

「始祖ユミル」の神話を読んでいると私はどうしても日本の天皇家を考えずにはいられません。

天皇家という存在を日本人はどう考えているのでしょうか。

始祖ユミルを抱きしめ「お前は奴隷じゃない、神でもない、ただの人だ」というエレンの言葉を天皇家に向けていると考えるのは間違いでしょうか。

天皇家先の大戦によって「ただの人」になる可能性を遠ざけてしまいました。

その後の天皇家の行動と人々の批判に胸が痛みます。

しかしもうエレンの言葉を用いてもいいのではないでしょうか。

 

戦争をなくしすべての人たちが「ただの人」になれる世界を作ろう。何度でもその希望を口に出さねばならないのです。