ガエル記

散策

「男女を恋愛不全にするアニメでいいのかって話です」

一昨日と昨日の記事に画像つけてみました。

文章はそのままです。

 

日岡田斗司夫さんのニコ生放送で過去動画を流されていたのですがその中で
「ロリアニメは女性を恋愛不全にさせる」
という定義が示されていてそれに続く説明を興味深く聞きました。
ここでいう「ロリアニメ」というのは幼女向けに作られた可愛い女の子が出てくるアニメ、例えば「セーラームーン」や「プリキュア」のような感じの作品です。

セーラームーンf:id:gaerial:20191203055226j:plain

セーラームーン

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プリキュア


放送中に「ここですぐに結論が出せる話でもないし、後々ゆっくり考えていけばいい」という感じになり話は他に移ってしまいましたが、ここで私なりにこの問題を考えてみたいと思います。

岡田さんの説明で凄いな、と思ったのは彼自身男なのでどうしてもアニメ問題を男性中心に考えてしまう。実際様々な男性の引き起こした犯罪がアニメが原因である、という定義は今まで数多く問題になってきたわけです。
特に可愛い女の子が出てくる幼女向けアニメを男性オタクが観て「萌え」と喜んでいたとしても、実際はそれ以上にターゲットであった女性たち自身に深い影響を与えてきたのではないか、という推察でした。
確かにアニメだのオタクだのという問題が持ち上がる時、ほぼすべて男性への問題提議になっているのですが、アニメは女性も同じように見ているわけですし、しかも女性向けアニメが女性たちにどのような影響を与えているのかは男性の起こす犯罪と違って目につきにくい深い部分に浸透していっているように思えます。

それでは「ロリアニメ」「幼女向けアニメ」の影響とはなんなのでしょうか。
それにはまずどういう経路で幼女向けアニメが生まれてきたかを考えていく必要があるでしょう。
さて一所懸命記憶をさかのぼってみます。

まずテレビアニメで生まれたのは手塚治虫による「鉄腕アトム」などの少年向け、つまり男性向けアニメです。手塚氏はこの中でウランちゃんという可愛い女の子ロボットをちゃんと登場させてくれるわけですが、主人公がアトムという男子ロボットであり女子ロボットはどうしても添え物でありアトムに守られる存在、という表現になってしまいます。

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鉄腕アトム



つまりこれをその頃の男女は「男はかっこよく強くあるもの、女は可愛く守られるもの」という教義をアニメから学ぶわけです。
他のアニメでも主人公はほぼ男子であり女子は彼を可愛い顔で励ましいたわり応援する存在として描かれていました。

日本アニメ史を見ると初めての女子向けアニメは「魔法使いサリーちゃん」となっています。私も熱心に観ていたひとりです。今思い出しても素晴らしいアニメだったと思っています。

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魔法使いサリー



しかしここで気になるのは最初から女子アニメが「魔法使い」だったことです。
腕力でも知性でもなく「魔法」というこの世に存在しない力を使わないと女子が戦うことは無理だった、ともいえるのです。
物語自体は良質なものでしたがここですでに「魔法使い」というアイテムが使用され今に至るまで女子の唯一の武器となってしまったことは一種の呪いなのではないでしょうか。続く「ひみつのアッコちゃん」の魔法のコンパクトが女性の持つ鏡付きの化粧コンパクトであることも女性への呪縛を強めてしまいました。私自身子供時代とても憧れたわけですが、化粧コンパクトが魔法につながるというこの呪縛は怖ろしいとさえ思います。

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ひみつのアッコちゃん



一方、手塚治虫氏は「リボンの騎士」で女性が男性に変身して活躍する、という魔法ではない戦い方を示してくれました。

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リボンの騎士



本音を言うとこのヒロイン・サファイヤにそれほど共感をすることはできませんでした。前述の魔法のほうがより強い羨望を感じさせてくれたと私は思っています。
その後登場する「アタックNO.1」は引け目のない堂々たるヒロインアニメです。そこには魔法も超能力もなく普通の女子としてバレーボールに青春を打ち込む情熱と行動が描かれていました。

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アタックNO.1



この作品で初めて少女向けアニメの原作者が女性作家となり、本当の女性作品と言えるのかもしれません。
(先にアニメとなった「サザエさん」は女性原作者ですがここでは女子向けアニメという事で語ります)

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サザエさん



アニメ史を見ているとやはり主要なものはほぼ男子向けです。私もやはり男子向けアニメが大好きでそのことに不満は感じていませんでした。
海のトリトン」「マジンガーZ」など夢中になって観ていてさやかちゃんが脇役的に女性型ロボットに乗ることにも納得していたと思います。

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海のトリトン

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マジンガーZ




ガッチャマン」などのように男性ばかりのチームに彩り的に女性が一人配置されることも仕方ない現実として受け入れるしかありませんでした。

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ガッチャマン



まだしもチームの一員になっていることは女性としてひとつ段階を上っていたのかもしれません。それ以前はチームの中にはいることもなく医療班だとか食事係だとかに設定されてしまうのがせいぜいだったでしょう。それ以前はそれらも男性で女性は家事をやっていたはずです。
それにしても「宇宙戦艦ヤマト」であの男性数に女性一人はさすがに驚きましたが。

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宇宙戦艦ヤマト


しばらくしてアニメとなった「キャンディ・キャンディ

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キャンディキャンディ

原作マンガはかなり読みましたがそれでも途中までで私的には好きな作品ではありませんが、女性が原作であり、魔法などなしに女子が自分の力で活躍していく、というスタイルはやはり評価すべきですね。
スポーツものというカテゴリでもないのですが舞台が外国で日本人ではない少女という設定は少女マンガならではの一種の弱点になってしまうのです。
どこの国でもそうなのかもしれませんが日本において特にその当時外国が舞台で主人公が外国人というのは男性に受け入れてもらえない絵空事、というレッテルが貼られてしまいがちでした。
まあここでは女子が受ける影響を語っているので一般受けがどうなのかは置いとくとしましょうか。
さほど可愛くない、そばかすだらけで鼻ぺちゃの女の子かっこいい男子との駆け引きをしながら大活躍するという物語は女子たちから絶大な人気を得ました。
しかし私は不満だったわけです。

わたしが大好きになり憧れたのは「キャンディキャンディ」ではなく『ルパン三世』の峰不二子でした。

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ルパン三世 峰不二子



「ルパン」放送は最初が1971年で当時私は8歳ですからさすがにリアルタイムで観てはいないと思うのですが、あの頃はなんども再放送というのがありましたからそれで観ただろうと思います。
峰不二子の登場はそれまでのどのヒロインよりも強烈なインパクトがありました。
最高の美貌とナイスバディ、頭がよく運動能力にも優れルパンという男の助けをまったく必要としていない気の強さ、気高さ、彼女の存在はそれまでのすべてのヒロイン像を打ち砕いてしまうものだったのです。

そうです。峰不二子こそ「ロリアニメ」のヒロインの元になる女性であるのです。
美しく可愛く強い女性。
男に助けを求めない、守られる必要などない自立した女。

不二子に憧れた少女たちはたくさんいると思います。

 

1971年にテレビ放送されたアニメ『ルパン三世』の峰不二子と1973年アニメ『キューティハニー』が現在のロリアニメと言われる幼女向けアニメの元祖であると思っています。

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キューティハニー



かつて他のアニメ作品に登場する女子はあくまでも主人公男子の介添え役か男性作家が女子はこうあるべきという可愛い顔を持った忍耐型というキャラクターでなくてはなりませんでした。勿論体型や服装も主人公の恋人や奥さんになるためには清潔でおとなしいものでなくてはなりません。
私はSFやアクションアニメが好きでしたがそこに登場する女性キャラ「ヤマト」の森雪「009」の003フランソワーズ・アルヌールなどおとなしい女性キャラに不満でした。この2作品は特に有名人気作でもありますからより不満も高まります。

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宇宙戦艦ヤマト 森雪

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サイボーグ009 003フランソワーズ・アルヌール





しかも他の作品でも女性キャラの立ち位置というのはほぼこの2作品とほぼ似たようなものだったと記憶します。
そんな日本アニメ界に登場してくれたのが峰不二子キューティハニーでした。
二人の大きな特徴であり共通点は男を惹きつける可愛い美貌であり他のヒロインと比較にならないほどのダイナミックなプロポーション(大きなおっぱい、くびれたウェスト、跳ね上がったお尻)を誇っていることです。しかもそれを強調する衣服を身に着け長い脚をいつも見せつけてきます。現在ならさほど驚くことはないかもしれませんが当時の女子キャラとしては破格の造形でした。
さらに驚きなのは彼女たちの人格です。
それまでの男子につくす、かいがいしく援護する、いやなことがあってもじっと我慢するというような日本男に求められる忍耐女ではなく自分の意志を持ち、男に頼ったり守られたりするのではなく自分の力で戦う強さのある女子だったのです。

ところが驚きなのはこの二人の女子キャラが男子にはそれほど人気がなかったことです。
確かにエロキャラとして喜ばれてはいるでしょうが彼女にしたいアニメキャラとしては選ばれないわけですね。
むしろそういう話題になるのは「しずかちゃん」だったり後に出てくる「南ちゃん」だったりやはりおとなしい女子キャラなわけです。(南ちゃんは活躍してたよという反論はありましょうがキューティハニーよりはおとなしかったはずです)

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ドラえもん しずかちゃん

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タッチ 南ちゃん




キューティハニー峰不二子を賛辞したのは女子だったと私は思っています。自分がそうだったのです。彼女たちはそれまで「女子キャラは主人公の男子を盛り立てる役目」だったのを解き放ってくれたのです。

そして以降、幼女アニメに彼女たちのエッセンス(エロチシズムと強さ)が加わり出したのは確実です。
サリーちゃんやアッコちゃんにはなかった男を魅了するエロチックな要素と男を投げ飛ばす強さという要素と女子向けには必須の「魔法」という要素が交わりながら幼女向けアニメ(ロリアニメ)は成長することになっていったのです。

これから以降は、実をいうと作品自体を観ていないので適当にタイトルを並べてしまうことになるのですが、『セーラームーン』『プリキュア』はそういうエロ+バイオレンス+魔法を我が物にした女子アニメの代表作になるのでしょう。しかも初代『セーラームーン』ではまだしもタキシード仮面という男子の介助があったのが今では女子だけで戦うのだと聞きます。
製作はまだまだ男性の手によることが多いだろうと思えますから男性の欲求(こう出会て欲しい)というものも含まれてはいるはずです。それでもターゲットである女子(幼女)の要求はかつてより反映されていることは確実でしょう。

さてここでやっと表題の「ロリアニメは女性を恋愛不全にするか」の答えを探る作業となります。

かつてのアニメは製作者である男性たちの「女性はこうあって欲しい。こうでなくてはいけない」という思いから「可愛い笑顔のおとなしめな容姿。控えめな服装。わがままな主人公男子を支え励ましいたわりながら助言する。決して浮気をしたり愚痴を言ったりしない一途さで男子キャラが助けに来るのを待つ」女子キャラが描かれ続けてきました。
もちろん観ているのは男子だけではなく女子もそれを見て「こうあるべきなのだ」という刷り込みをされます。
ところが峰不二子キューティハニーのDNAを受け継いだ後の幼女向け女子キャラは可愛い顔ながらかなり奇抜な服装をし男の力などあてにせず仲良しの女子たちで助け合って敵を倒してしまいます。
つまり「男子キャラが助けに来る」ことを待っていたりしないのです。
それでもお洒落や美味しいお菓子などには目がなくて思い切り楽しむのです。
こうしたアニメを幼いころから観続けてきた女性はどうしても「男なしで女の子たち同士で助け合ってお洒落をしたり褒め合ったりしてるほうが楽しいよね」という刷り込みをされてしまう、という結論に至ってしまうのは当然なのです。
しかもこの場合、男子はこの女子向けアニメを観ておらず刷り込みをされていません。

さて男子はどういうアニメを観て育ったのでしょうか。

さてもう一度峰不二子キューティハニーに戻ります。
彼女たちは日本アニメ界の風雲女でした。
万事控えめでおとなしいそれまでの日本女性キャラに対し、迫力ある美貌と露出過多の服装の彼女たちは豈はからんや男子には怖ろしいものだったようなのでした。
ちょいと観る分にはよくても彼女にするには太刀打ちできない、というのが日本男子の本音だったのかもしれません。
そこで登場したのが『うる星やつら』のラムちゃんです。

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うる星やつら ラムちゃんとあたる



彼女の外見はハニーと不二子を髣髴とさせますが、キャラ設定は違います。
どういうわけか、なんの魅力もないような主人公男子を「ダーリン好きだっちゃ」と連呼してつきまとうのです。外見はキューティハニーでも中身はしずかちゃん。これが日本男子に与えられた女子キャラでした。
しかもそれでも奇抜な服装がダメだったのかセーラー服で登場したりもします。

せっかく日本アニメ界にそれまでの女子キャラを破壊する存在が登場したのにもかかわらず、男子向けには人格の矯正が行われました。
外見は魅力的なので許すとしても男を蹴とばすような性格と張り合う気力は日本男子にはなかったのです。
更に現在「宇崎ちゃん」という女子キャラが話題になって知りましたが、彼女に至っては外見というよりおっぱいが大きいというだけで奇抜な服装も消え、普通の衣服となり、人格も男におもねったものとなっているようです。

 

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宇崎ちゃん



これが男子に与えられた女子キャラの末路です。

さてもう一度課題に戻ります。

「ロリアニメは女性を恋愛不全にするか」
もちろん答えはイエスです。しかし
「男子向けアニメは男子を恋愛不全にする」
でもあります。

女子は男子を必要ないという女子キャラアニメを観て育ちました。女子たちだけで助け合い楽しみ合うというアニメです。

男子は相変わらず男子に寄り添う女子キャラを観て育ちました。つまり女子を必要ないう男子キャラのアニメを観て育ってないのです。可愛い女子は男子を必要として寄り添うものとして学んでしまいました。

ここに歪みが生まれています。
女子は男子を必要とせず、男子は女子が寄ってくるもの、と信じています。

この歪みを直すことはできるのでしょうか。
幼児期にそれを観た者はもう無理かもしれません。

ではせめて次の世代では。

幼児期にどうしても見てしまう子供向けアニメに男女が互いを尊敬し合い助け合うものだというアニメを作ればもしかしたらうまくいくかもしれません。
片方だけではだめなのです。

しかし日本のアニメやマンガというのはどうしてもターゲットが男女に分けて作られておりターゲットが単純に好むものを作れば利益が上がる、という思考で制作されてしまいます。
果たして次世代の男女はどういうアニメを観て育つことになるのか。
男女の恋愛そして結婚そして少子化問題までもアニメ(マンガもね)は大きな責任があるのです。