ガエル記

散策

「週刊少年ジャンプ」にこそ描いて欲しいマンガがあります。

ネット上でジェンダー論が続いています。この論争に終わりがあるとは思えませんが、あまりにもすれ違う意見の応酬を見ていると溜息をつきたくもなります。

 

ジャンプ漫画、はなんとなく「現在の日本マンガ感覚の座標」になる、という認識があるのですが、ジャンプでどんなキャラが描かれるか、そして人気を得ているかは気になってしまったりするのです。

というくせに私自身はジャンプを今は読んでいない、っていうのはどういうことなのですか。

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バクマン』は途中まで読んでいました。

なにしろこれは「マンガ家になるためのマンガ」ではなく「ジャンプマンガ家になるためのマンガ」なのですからこれを読めばある程度ジャンプというマンガ出版社の意識がわかる、はずです。

全部とはいかないかもしれませんがそれでもジャンプで人気漫画家になるにはどんな意識が必要かはある程度描かれているのではないでしょうか。

まったく違う、というのならこのマンガの意味がなくなるし間違った認識を植え付けてしまうわけですからジャンプマンガ家になりたいならこう考えろ、という目的はあるんだと思います。

途中までしか読んでいない奴が言える話じゃないしもうかなり昔なので記憶も定かではないですが、マンガを描くことに対する主張も私が思う気持ちとかけ離れていたと覚えています。

例えば「マンガは面白くなければ意味がない。政治を語ったり、芸術を目指すのは間違っている」というような言葉があって、これが「ジャンプでは政治や芸術は掲載できないから別の出版社へ行ってください。うちは面白いの専門なので」というのならわかるのですが、「芸術を目指すのはおかしい」という表現にしてしまっているのは偏見すぎる、と感じてこれを子供時代に読んでしまった芸術性の高いマンガを描ける子は不憫だなと思ったのでした。

マンガにも色々な道があり、それぞれ自分が好きな方向へ行けばいい、というのではなく芸術や政治を描くのは愚かしいというのも新しい道を閉ざしているように思えます。

そしてその道を進みたいと思うキャラを間抜けなかっこ悪いキャラにして、ジャンプ系のマンガを目指す主人公はかっこよく描く、というステレオタイプもなんだかなあという感じでした。

女性キャラに関してもお決まりの「おとなしくて可愛い女の子」がヒロインで気持ち悪かったのです。

かつてある男性俳優がこの女子キャラを可愛いから好きだと言ったことがありました。その男優が知り合いの女性に性暴行を犯してしまったのですが、やはりそういうことだったのかな、という感じでした。つまりその男性俳優にとっては「可愛い女子=おとなしい=反抗しない」という図式があったのでしょう。

少年マンガにはよく男性ファンへの「サービス」として性的な描写(男子が女子のパンチラないしはヌードを見てしまう、もしくは触ってしまうなどの)がありますが、せめてその後でそれなりの罰則があることも描かねばなりません。

それによってその女子がどんなに傷つき悲しい思いをするかを描かねばならないし、愛情のある行為とはどんなことかを描かねばならないのです。

それがなければ「女は喜んでいる」少なくとも「嫌と思っていない」と信じてしまうわけです。

 

 

今こそ「少年ジャンプ」は真正面から男女の性意識、ジェンダーについて男子はどう考えるべきなのか、というマンガに取り組んで欲しいのです。

女の子ではなく、男の子を主人公にして「男の子が女の子を好きになる、ということはどういうことなのか、男はどうしなければならないのか」ということを科学的論理的にマンガにしてみてはどうでしょうか。

 

かつて手塚治虫は「不思議なメルモ」というマンガで子供向けに性についてのマンガをいてくれました。あのアニメは大変面白かったのですが、今現在ならもっと違う表現もできるでしょう。

そして男の子を主人公にして「性と愛」について真面目に考え描いてみて欲しいのです。

これは他のマンガ誌でやるよりも「週刊ジャンプ」でこそやってほしい。

やはりもっともマンガ誌の中で話題性があると信じるからです。

一度目ですべての答えが出ることもないでしょうし、反感や反論もあるでしょう。

バクマン』のなかで「PTAを敵に回すくらいがおもしれえ」と言わせているのですから、エロい目で女の子を眺めるだけじゃなく、男女がセックスして女の子が妊娠して子供を産み育てるのがどんなことなのかというところまで描いてみたらどうでしょうか。

それがどういうことなのか、どういう意味を持つのか、真剣に考えてみて欲しいのです。

それは別のマンガ誌ではなく「週刊少年ジャンプ」でこそ掲載してほしいマンガです。