ガエル記

散策

『Ⅹファイル』その2

Ⅹファイル続行中。今これ以上興味を惹くのを見つけきれない。

 

『Ⅹファイル』の特色は様々にあるでしょうがその一つが「本格的な〝男女”バディもの」だと思います。

この〝男女バディもの”という定義は人によって多少変わるかもしれませんが私にとっては「主人公男女が同じ比率で活躍もしくはホームズ&ワトソンのように役割分担の活躍をするもの」であるのが基本条項でしょう。

『Ⅹファイル』はまさしくその両方を満たしていてスカリーとモルダーの完全な両主役と言っていいでしょう。途中からはさらに変わっていくようですがそこは観ていません。

もしかしたら「男女バディものドラマ」の走りかな?と思って検索したのですがイマイチまだよくわかりません。

少なくともそれ以前に幾つかあるようですがそもそも私自身がそれほどドラマを観ていた人間ではなかったのでよくわからないのは当然でした。

それでも超有名人気ドラマになった男女バディものドラマシリーズなら『Ⅹファイル』は確かに〝男女バディものドラマ”の走りと言ってもいいのではないでしょうか。

 

『Ⅹファイル』は1993年からのドラマでその年は平成5年です。

となればいわゆる「昭和の時代」には(海外ドラマでも)〝男女バディもの”はほとんど評判にはならなかった、ということかもしれません。

なにしろ1970年代映画ドラマでは男同士バディものの人気が凄まじく私も楽しんでいました。男バディ作品を挙げていくのは無理かもしれません。ほぼほとんどが男同士の友情を謳いあげていたと言っても過言ではないでしょうから。

男女バディものを検索していたらルパン&不二子を挙げているのがあったのですが『ルパン三世』はルパン&次元バディものであってルパンと不二子を先に挙げるのは難しいでしょう。アニメでは『タイムボカン』シリーズはある意味男女バディものといえそうですがあくまでもこれは主人公が「子ども」だからですね。

つまりここで”男女バディもの”がなぜ少なかったのかという疑問は「男女でいればすぐに恋仲になってしまうから話が作りにくい」という偏見というか前提が作用し男バディものにしたほうが女性ゲストが出しやすいという男性社会的な意向も働いた結果もあるのですが結局男バディものはふたりが濃密な関係になりやすくBLものの温床になっていったという面白い収穫もあります。

なので主人公が子どもの場合は〝男女バディ”はさすがに訝しくは思わないというだけなのです。

 

ところであまりドラマを観ていなかった私ですが先日偶然松本清張ドラマの再放送を観ていてそれが〝夫婦バディもの”でした。『Dの複合』いしだあゆみ津川雅彦が夫婦で推理をしていくもので「こっちが先に男女バディか?」と思って検索したのですが放送1993年ドンピシャ『Ⅹファイル』と同じ年でした。

なに?1993年って〝男女バディ年”なの?(ただ『Dの複合』は単発ドラマでシリーズではない)

 

夫婦でバディならほとんど読んではいないのですがアガサ・クリスティの『トミーとタペンス』というおしどりものがあり1980年代にドラマ化されているので先と言えば先ですね。

また二木悦子氏の兄妹推理ものがあって1958年に映画化されているのでこちらは随分早いがこれも兄妹という血縁だからこその男女バディで成立したとも言えなぜ普通に男女バディものにならないのか不思議と言えば不思議です。

 

しかしそんな経緯があったからこそか、今現在は男女バディものが大流行です。

結局男女バディものは男女不平等や偏見がある社会ではどうしても生まれにくく受け入れ難かったのです。

『Ⅹファイル』は今観ても驚くほどスカリー&モルダーが対等に話活躍していきます。

しかしこのドラマが生まれてからも男女バディものが急激に増えることはなかったわけでこの30年間に少しずつ確立していったとしか言えません。

昨日も書いた『メンタリスト』は確実に『Ⅹファイル』を意識しています。

変人で特殊な才能を持つ男性と極めてリアリストな人格者である女性という組み合わせは同じでアウトサイダーな男性キャラを女性キャラが支え引き戻し操っていくスタイルも同じです。

男性キャラがマッチョではなく頭脳で戦うタイプであり「半社会的」であるのが女性と対等に付き合える条件とも言えそうです。

一方女性キャラはバリバリのキャリアウーマンというわけです。

ちがいは(たぶん)『Ⅹファイル』がふたりに恋愛関係を持ち込まなかったのに対し『メンタリスト』が後半恋愛関係になっていくことでしょうか。

果たして視聴者の受けはどちらが良かったのでしょうか。

私は『メンタリスト』大好きだったのですがジェーンとリズボンが恋人・夫婦になっていくのに奇妙な失望がありましたw別にいいんですけどね。

『Ⅹファイル』は後半観ていないのですがどこまで観続け切れるかは不明です。

 

〝男女バディもの”男女を主人公にすることで男女両方の集客ができそうなのですがなぜかこれまでそれは成立し得なかったのです。

作品は男向けが女向けであるのが当然で男の欲望を満たすためか女性の欲望を満たすためかその両方はないものだったということなのです。

奇妙ではないですか。

つまり男女の欲望は反対方向に向いているわけですね。

『Ⅹファイル』がそれを可能にできたのは欲望が「超常現象の解明」に向いていたから、なのでしょう。