この本に書かれている田嶋陽子さんの考えは全て同意するもので少しもぎょっとするようなことではありませんでした。
なのでこの本の内容を逐一取り上げて感想を述べる必要はない気がします。私は全て納得しました。
この本に違和感や反発を覚えるのは田嶋氏が書かれている通り日本の歴史に支配されているからというだけなのです。
私はいわゆる会社勤めをしないままに生きて来たので会社での女性の在り方への反発を感じたことがないのでもしかしたらこの本の重要な部分中心部分は判らないままでいるのかもしれません。それでも結婚し自営業に携わってきた上での男女の意識はこの本で書かれている通り、と言っていいのです。
特に結婚生活というものをなんとかこなしてきたのはやはり自分を押し殺してきたからにほかなりません。
事実私は結婚してから今まで友達との交際を一切せずに過ごしてきました。休日と呼べる日は一日もなくすべてを忘れてのんびりとかたまには羽を伸ばして思い切り、というようなことは全てあきらめてしまいました。
若い頃は抵抗したこともあったのですが「それ」をやることがどんな軋轢を生むか、面倒なことになるかを恐れてあきらめたのです。
このことを愚痴るのは馬鹿々々しいことだとも思っていますし、そう思っていること自体も支配されているからなのかもしれません。
それは夫からの支配というよりも規範からの支配でもあります。
正直、今やっているパソコンで文章を書き、マンガを描きインターネットでぶちまけるという作業ができなければ自分の精神がどうなっていたのかわかりません。
もしかしたらそういうものがなければ逆にリアル世界で同人誌を作るような交流ができていた可能性もあります。そちらであれば無理を言って旅行して会合を開くといった経験ができたかもしれません。
とはいえネットで自分の思いをぶちまける、といってもリアルの愚痴ではなく(そんな真似をすること自体がうんざり)読書や映画の感想だとか下手なマンガを必死で描いてネットにあげてはアクセス数を楽しみにする、現在の状況に満悦しています。
そういったすべては『愛という名の支配』へのささやかな反抗なのです。
私はたぶん今の結婚生活が続く限りこの状況から逃れは「しない」でしょう。
できない、ではなく。
それが決して「良い」とは思わなくともです。
田嶋氏は男性が書いた物語の中に男性の欲望が描かれてきたことを指摘しています。
これにもまったく同意なのです。
自分が若い頃読んできた小説や観て来た映画にはそういう「男の欲望」がそのままに描かれているのを感じていました。
田嶋氏はその中でロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を好きだとしてあげていますが、私は逆に男ばかりが登場する作品の方向へ行ってしまいました。
「腐女子」が口にする「なぜ腐女子になったのか」の一例であり多数派なのでは、と思っています。
男女の物語になると描かれる女性の卑屈さが嫌になってしまう。男対男であればそういった女性の卑屈さを感じさせられずにすむわけです。
登場する女性が卑屈でもちょい役なのでそれほど気にならない、という消極的な選択です。
もう少し詳しく言えばかつての多くの作品は男が主人公で強くて性的魅力にあふれておりヒロインはその男主人公に惚れて心底尽くす、というパターンばかりだったわけです。
そしてそのヒロインはいかにも男性好みの美女で愛らしく優しく少し間抜けなところもある、というキャラでした。
そういった女性の位置づけにうんざりの腐女子は男同士の愛のほうへ向かうのです。
もし片方が「典型的ヒロイン」の造形でも男性だから許せるという心理です。
男子校もの、軍隊もの、刑務所もの、なぜかヤクザものは嫌いでしたがそういった男性だけが登場するしかも男性同性愛ものでないと受け入れきれなかったのはどの物語を観ても読んでも女性の絵が描き方に反発があったからでした。
今はそういう枷も外れてしまっています。男性同性愛だから観たいという気持ちも昔ほどではなくむしろ自分が納得のいく女性が登場する作品を多く観たい読みたい、という気持ちが強いのですが、こちらはなかなか思ったようにはいかないようです。
それもできるなら女性作家のものが良いのですが小説家は多くても映画となると今でもほとんどが男性監督作品ですので選びようもありません。
女性の映画監督が小説界(日本のマンガ界)の割合にまで増えるのはまだ当分かかりそうです。
話がどんどんずれていきますが日本の女性作家で好きなのはどうしてもマンガ界に多くなります。
とはいえ萩尾望都、山岸凉子、大島弓子、といった年配者ばかりなので今は心もとないのですが新しく好きなる女性作家・マンガ家・映画監督の登場を望むばかりです。
さておおいにそれてしまいました。
それでも『愛という名の支配』から日本の女性は少しずつ脱却しているとは思っています。男性からの怖ろしいほどの反発罵詈雑言を感じますが。
まだまだまだまだ前途多難です。
私自身は生まれ変わるところからやり直すしかないと思いますが、それでも少しずつ枷を外す努力をするしかないのです。
長い間田嶋陽子さんは煙たがられてきてそれでも細い支持の糸は切られず今再び話題になりつつあるようです。
私も今になってやっと本を読んだりしている人間のひとりです。
日本社会が少しずつでも前進していく様子を見ていきたいと願っています。