ガエル記

散策

男性社会の中の女性たち

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とても興味深い内容でしたがその中でも特にはっとなった箇所がありました。

 

―氷室さんとは、公私ともに交流がおありだったのですね?
萩尾「ええ。氷室さんと一緒に小学館漫画賞の審査員に選ばれたことがあって、男性審査員が多い中で女性審査員が私と氷室さんだったんですけど、その審査もとても面白かったです。『NANA』が候補にあがったときに、賛否が分かれてしまったんですよ。私と氷室さんはもちろん大賛成で、素晴らしい作品なんですけど、2人いるNANAのうち、ちょっと気の弱いほうが、いろんな恋愛をしては失恋して、恋愛をしては失恋し、を繰り返すんです。それで、「こんなに次々と男をかえる女は嫌いだ」って別の審査員の方が言われてね(笑)。困ったなと思ったら、氷室さんが、「なぜ彼女が次々と恋をするのか、それは彼女が深い淋しさを抱えているからである」と、弁舌を振ってくださって。それを聞いた男性審査員が、納得してくださって、『NANA』が受賞した経緯があるんです。言いたいことはいつもきちっと相手に分かるようにお話しなさる方でした。本当に心強かったです」

 

これは様々な要因を考えさせられる証言ではないでしょうか。

かつてはマンガ家と言えば男性のものでしたが今現在男性マンガ家だけでなく女性マンガ家が多く活躍する時代となりました。とはいえその活躍は少年もしくは青年マンガ誌によるものが多いのも事実です。

つまり男性の承認がなければ活躍は難しいのです。

NANA』は受賞後映画化もされ実力と人気を知らしめましたが審査の段階で

「こんなに次々と男をかえる女は嫌いだ」

という判断で受賞しなかったのかもしれないのです。思うのはその「ナナ」が男性であったらその審査員は同じ感想を持ったのでしょうか。

女性が女性として苦悩し行動した作品が「嫌いだ」の感想で否定されてしまうのです。

もしこの審査に萩尾望都氏・氷室冴子氏が参加されていなければ『NANA』は受賞もなくもしかしたら映画化もなかったかもしれません。それでも女性たちからの称賛は変わらなかったかもしれませんがその作品を知る人数は減ります。私自身映画化で認識したように思えます。男性ならよりその傾向があるはずです。

それほど受賞するか否かは作品の認識範囲を左右します。

 

私はずっと「女性の作品でも内容が良ければ読んだ男性はその良さがわかるはず」と素直に思っていましたが読んだとしても男性としての基準が妨げになるのだと改めて思い知りました。

女性雑誌だから読みにくいのだろうけど読めばわかるに違いない、ではないのです。

男性としての思考や行動なら共感できても異性である女性のそれは許せないものと判断されてしまう、のです。

 

あたりまえのことのようでそうした考え感情は今でもあるものなのですね。

以前『マッドマックス/怒りのデスロード』が女性には大受けしたのに男性には不評だったという現象がありました。

マックスという男性が活躍すれば男性から絶賛だったのが同じことを女性主人公が行ったという映画に男性たちは反感を持ってしまったのでした。

 

女性たちは長い男性社会で作られた男性向け作品を自分たちの中で処理して把握しますがその逆はとても困難なのです。

 

とはいえ歴史は男性社会の中で作られてきました。いきなりそれをすべて覆すことは無理でしょう。

しかしそれではやはり女性が活躍するのがいかに難題なのかはこれらのエピソードからも判断できるものだと思えます。