ガエル記

散策

『如懿伝 〜紫禁城に散る宿命の王妃〜』嫻妃

本作『如懿伝』が比類なき作品なのは歴史上悪女となっている嫻妃を「実は最も誠実な女性だった」という設定として世界を作り変えたところです。

そういう小細工をすると往々にして辻褄の合わない奇妙な物語になりそうですが本作は「確かに」と思わせるものでした。

(いやまだ再鑑賞途中ですが)

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

嫻妃がどうして悪女なのか。それは彼女が歴史上ほとんどあり得ない「廃后」になっているからですね。

皇帝の妻である尊き皇后を廃することは最も忌むべきことであり不吉なこととされる、と作品中でも語られます。

万民の鑑である皇帝が生存している皇后と離婚するのは天の采配に逆らう、ということなのでしょうか。

その禁忌を冒してまで廃后となった嫻妃はどんなに恐ろしい嫌悪する女だったか、と言うことになるわけですが本作ではその嫻妃は実は真逆に誠実な人であり純愛を求め自らも清廉な愛に生きた女性だったからこそ皇帝は後宮と言うがんじがらめの束縛から彼女を自由にしたのだ、という説明になっています。

その説明がこの長い長いドラマを通して語られ納得させられます。

とはいえ嫻妃の純愛は悲しいものでもありました。彼女の最期の場面は胸を打つ美しさでした。

 

今観ているのは嫻妃が(自らの機転で)冷宮から出ることができ以前よりさらに美しい宮に入って一安心しているところです。

嫻妃を陥れた張本人を暴くのはまだ無理ですがとりあえず阿箬を自死へと導かせました。

皇帝が嫻妃を守るためにあえて冷宮に入れたのはわかりますが3年は長すぎでしょう。この辺日本と違って中国ものはいちいち期間が長すぎるのですよ。日本は逆に短すぎですが。

にしてもやはりここにも比較がありますね。

己惚れてしまい皇帝の妃嬪となろうと図り主人を裏切った阿箬の惨めな最期と自ら嫻妃について冷宮に入り支え続けた蕊心はやがて幼馴染だった医師と結婚して幸福をつかむ。やはり身の丈に合わない野望は抱かない方がマシです。

本当の幸福とはなにか、考えましょう。後宮に入るとか幸福じゃないだろうて。