ガエル記

散策

『親という名の暴力』小石川真実 その2

 

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 本著の書き手・小石川氏が生まれてすぐから母親そして父親からも精神を病んでしまうほどの抑圧を受け続け、成人してその異常性を非難し続けても彼らの考えをまったくかえることができず自らもその抑圧から逃れることができなかったことは恐ろしいとしか言えません。

 

こうしたいわゆる「毒親」の話はこれまでもいくつも読んできました。肉体的性的なものの場合は肉体そのものが耐えきれないので早く逃れることができるかもしくは死んでしまうのかもしれません。

精神的なものもその方法や程度問題もあるでしょう。

本著者の場合は本人にとって過酷でもある意味「生ぬるかった」ために人生を通して苦しめられることになってしまいました。

一気に死へ追いやられるか、じわじわと真綿で首を絞められるか。、どちらかを選べと言われてもどちらも選びたくはありませんが実際にそうした親の元に生まれてしまうのは子供が選択できることではありません。

こうした親にならないためにはどういう教育をしていくべきなのかよくよく考え実行していかねばなりませんがそれも今すぐできるわけではありません。

 

とりあえずある程度生き抜くことができたらば(世界中の子供が生き抜くことができますように!)逃げ出すしかありません。

本著著者も素晴らしい知力を持っていたのですが「逃げる」という発想を持てなかったのが残念です。

親を変えるのは無理です。

絶対に無理です。

子供にできるのは逃げ出すことです。

著者もせめて中学を卒業した時点で或いは高校卒か途中でも逃げてしまうことができたのなら(当たり前ですが)人生は変わっていたはずです。

その頭脳は別の方向へ使うべきでした。

 

もちろん学問はいつだってできます。

 

一月万冊で今一生さんが虐待を受けている子供が家出して自分だけで生きていけるような社会になって欲しいと言われていますが、ほんとうにそのとおりだと思っています。

 

昨日も書きましたが逃げ出さずにずっと親元にいた著者はもうどうにもならないほど精神を破壊されてしまったとしか思えません。この本の文章が優秀な頭脳の持ち主が書いたものとは思えないほど不気味な歪みを持っているからです。

この本を紹介してくれた安冨歩氏の文章は同じく親から迫害されていたと言っても文章がおかしいとは思いませんでしたがこの著者の文章にはもう救えないほどの偏りを感じます。

 

せめてこの方が10代の時に「逃げろ!」のサインを出すことができていたら、と悔やまれます。

しかしそれは言っても無理なことです。

この方はこの本を書くことで「親から虐待され続けた子供がどんな精神になりそれが文章にも表れる」ことを示してくれたのだ、と嘆くことしかできないのです。

 

小さな子供たちが親から虐待を受けないよう配慮し自分で生きて行けるような教育を施し嫌だと思えばさっと逃げ出せる社会を作りたい。

まずはそこを目指したいのです。