もう少し続けます。
ネタバレしますのでご注意を。
先に書いた文章の中で私は「萩尾望都氏は『十年目の毬絵』で無意識に自分の思いと願望を描いてしまったのだろうか」と書きました。
とはいえ『十年目の毬絵』は1977年にビッグコミックオリジナルに掲載と書かれています。驚くことに大泉から出てそれほど時間が経ってはいない時期なのです。タイトルにあるように十年はまだ経っていない時期なのです。
しかし本当にいろいろ現実と符号する物語なのです。物語の3人が共にいたのは20前後で3年間というのもほぼ同じ。そして『一度きり』の中で繰り返し萩尾さんが自分自身を卑下するところなど主人公の島田氏にそっくりです。
その島田氏に毬絵が手紙を書くのです。
あのころがなつかしい
ただ ただ なつかしい
なぜわたしたちは
いつまでも三人で
いられなかったのでしょう
なぜ三人で
いられなかったのですか
『一度きり』ではあの頃を思い出すものがすべて怖かった、というようなことが書かれていたのにまるであの頃のことを描いているかのように思えるこの言葉は萩尾さんの中では重ならなかったのでしょうか。
むしろ年月を増すごとに萩尾さんの中で重く沈んでいったのでしょうか。
そして竹宮氏の著書は読まずとも萩尾さんへの嫉妬は書かれていても謝罪は書かれていないように感じられることがまた辛く思えたのでしょうか。
これまでも私たちは多くの競い合いの物語を見てきました。
ふたりの話を読んでモーツァルトとサリエリをクリス・エバートとナブラチロワを或いはまた清原と桑田を思い出す人もいるでしょう。
確執があったふたりが仲を取り戻す場合もあればそうならない場合もあるのです。
萩尾さんと竹宮さんが再会し友情を取り戻せるのかそうでないのかは誰にもわかりません。
しかし萩尾さんも本著に書かれているように離れているはずなのになぜか接点ができてしまう不思議もまたあるのです。光瀬龍氏、寺山修司氏、安彦良和氏そして同じ時代の話を取り上げてしまう奇妙な縁。
しかも徳島県生まれの竹宮氏が長く住まれたであろう関東を離れて萩尾氏が生まれた福岡県に在住されているというこれもまた不思議な縁を感じてしまうのです。(今現在どうかはわかりませんが)
『一度きりの大泉の話』は萩尾望都氏にとっては非常に辛い記録となったのでしょうが長くふたりの物語(正確には三人の)がどのようなものだったのか気になっていた者たちにとってはほっとしたような安堵感もまた会ったのではと思います。
結局竹宮惠子氏は『風と木の詩』を描くためだけにマンガ家になったのでは、とさえ思えます。
一方の萩尾氏は『ポーの一族』『トーマの心臓』も確かに素晴らしいのですが年月を増すごとに凄い作品を作り続けた人です。私は『バルバラ異界』が最高傑作と思っています。やはりSFマンガの大家と評したいのです。
本著で萩尾さんがSF話ができないでいたのが気の毒でした。私も完全に趣味が重なるわけではないですがブラッドベリとハインラインの話はしてみたいです。
多くのファンの方が書かれていた「そっとしてあげたい」という言葉に尽きるのではないでしょうか。これからどうなるのか、どうもならないのか、それは誰にもわからないことで運命にゆだねるしかないのです。