さて本腰で『キリング・ストーキング』を語らねばと思ってはいるのですがなかなか難しいのです。
今日の比較相手は萩尾望都『残酷な神が支配する』を選んでみました。
以下両方のネタバレになります。ご注意を。
萩尾望都『残酷な神が支配する』と『キリング・ストーキング』は非常に似通った部分と徹底的に違う部分があります。
似通っているのは主体が同性(男性同士)の性暴力を題材にした物語であること、物語自体の時間はそれほど長くないが創作された時間が非常に長い間であり物語の展開が非常に細やかにくどいほど詳しく説明されていくこと。
ふたりの男性主人公とその家族が密接に物語に関わっていること、ふたりの男性主人公が虐待的な性的な関係に陥ること、ふたりの男性主人公の片方が非常に権威的支配的な父親の影響を強く受けていること。もう片方は受動的であり被虐的であること。幸福を願いながらも簡単な答えは見つからずどうしようもないほど何度も何度も苦悩と苦痛を繰り返していく過程が描かれていくこと。
徹底的に違うのは『キリング・ストーキング』のふたりが双方とも幼少期から虐待を受けてきて双方とも精神が深い傷を受けているのに対し『残酷な神が支配する』のふたりは幼少からの虐待は受けておらず幸福な成長をしていることです。
つまり幼少期に精神に傷を負った人間と健康に育った人間とではその後同じように性暴力で苦しむことがあっても結果はこのように違ってくるのだ、ということをまざまざと見せつけられていくように思えます。
これは両作家の力量を信じられるからこそ語れることでもあります。
『残酷な神が支配する』での主人公たちは物語に入る前までは裕福で健康的な成長をしてきました。
ふたりのそれぞれの父と母が結婚することから物語が始まります。
母親の連れ子であるジェルミは義父から性暴力を受け続けそれは義父の急死まで続きます。しかし義父は死後も幻影となってジェルミを束縛し続けていきます。
父側の実子であるイアンはジェルミに対し最初は反駁し次第に彼に深くかかわっていくことになりますがジェルミの深い心の傷は癒えたかと思ってもまた血を吹き出すかのように塞がることがないのです。
イアンは次第にジェルミを愛していくようになりますがそれは彼自身もジェルミの闇に引きずり込まれていくことを意味していました。
それでもふたりが幸福になることをあきらめず何度も破滅を目の前にしながらも修復できていったのはやはり愛することを知っていたからなのでしょう。
ひきかえ『キリング・ストーキング』のふたりはふたりとも「愛する」ことの意味を知るのが少なすぎました。
それでも経験したわずかな愛情の記憶をたぐっていこうと彼らはあがき続けたのです。
さらに続きます。