『キリング・ストーキング』
韓国映画で描かれる過激な残酷性と情愛をそのままにBLマンガに仕立て上げた作品でした。
しかもここでさらなる風味を加えるのが警察官ヤン・スンベです。
彼の存在も(ソウルからやってきた)田舎警察官の下っ端で先輩からいびられているキャラという立ち位置です。
貧困貧相でいじけまくっているウジン。肉体美だけが取り柄で他にはなにもない(とりあえず生活できる家と財産があるだけましの)狂暴男サンウ、といった設定は華麗な耽美BLを求める派からはどうにもしょぼく惨めなキャラと背景なのですが私にはたまらなく最高のキャラ設定なのではありました。
そうでなければここまで引き込まれることはなかったように思えます。
私が萩尾望都『残酷な神が支配する』がいまいちのめりこめないでいるのは設定があまりにも上等すぎてしまうからなのです。
萩尾望都氏が上質を描けるが故に陥ってしまうサービス(少女マンガなんだから華やかにのサービス)に思えるのです。
『残酷な』の物語がもっとしょぼい設定であったら貧乏でふたりともここまで美形じゃなくて才能もあまりないというのであればもう少し好きになれた気がします。まあそれじゃもう萩尾望都ではないのかもですが。
『キリング・ストーキング』の主人公たちそのものは確かにあまり好みではないのです。しかし設定は好みすぎなのです。
この部分で私は入り込んだのでした。
プラス、しょぼい警官ヤン・スンベは造形も設定も美味しすぎました。
『残酷な』でいえばリンドンのような位置にも思えます。
『残酷な神が支配する』では愛と暴力への思索がより良き方向へと進みました。殺人の疑いも彼らの罪にはならないという褒美が与えられます。
『キリング・ストーキング』では愛と暴力は最初から思索を失っており間違った道を突き進み殺人を繰り返していきます。
『残酷な』では明るい未来が開け『キリング』には闇しかないのです。
それでも私は『キリング・ストーキング』により惹かれています。
『残酷な』が素晴らしい優れた作品であるのに対して『キリング』はあちらこちらに破綻があるのですがそれでも惹かれるのです。
もちろんこれは『残酷な』が完璧ともいえる名作だからこそ比較しているのですが。
ずたずたに切り刻まれた悲しい作品だからこそその中にある美しいなにかに惹かれてしまうのです。