ガエル記

散策

『キリング・ストーキング』クギ その6 『残酷な神が支配する』萩尾望都

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続けます。『キリング・ストーキング』と『残酷な神が支配する』の比較評になりますので双方のネタバレになります。ご注意を。

 

 

 

残酷な神が支配する』の主人公ふたりはふたりとも裕福で片親からとはいえ愛されて育ちました。ふたりとも白人男性であり頭もよく優れた才能も持ち同性の友人もガールフレンドもいるという恵まれた身の上であり、だからこそ突然襲ってきた「義父からの性暴行を受け続ける」というアクシデントによってジェルミは「地獄へと突き落とされてしまう」悲劇を読者はより感じてしまうのです。

イアンとなればもう「王子様」と呼んでもいいほどすべてが恵まれた青年で彼自身は母親が早く死んでしまったことを除けばなにもかも申し分のない幸福な人生を歩んでいたのにジェルミという危険分子を抱え込んでしまったことで輝かしい未来へのまっすぐだった道から外れ荒野をさまようことになるわけです。

 

一方『キリング・ストーキング』ではふたりともはじまりからすべてが破壊されています。

唯一優れているのはサンウの肉体の美しさだけです。それだけなのですがだからこそサンウの美貌というものがなによりも尊いものにも思えます。

『残酷な』での舞台であるお城のような豪邸とは比較にならない普通の住宅が舞台となります。地下室がある、ということだけが取り柄でしょうか。

ウジンにいたっては貧困家庭で育ち背が低く痩せ細り眼だけがぎょろぎょろとしたこけた頬のまったくさえない容貌で境界性パーソナリティ障害があり養父となる叔父から性暴行を受け続けてきました。

ジェルミとは違って美少年とは言い難く年齢もすでに20代後半なのです。

 

貧しい家庭、教育の不足、肉親からの愛情は権威的偏執的と偏った形でしか彼らには与えられてきませんでした。

だからこそ『キリング・ストーキング』の中で瞬間的に訪れる幸福は何にも代えがたいほど貴重に思えてしまうのです。

 

残酷な神が支配する』では主人公たちは幾たびも幾たびも破滅を感じながらも踏みとどまって前に進むことができました。

私はそれがやはり彼らに幸福を信じられる幼いころの記憶からの希望があったのではないかと思えます。物語は完成した幸福ではなく彼らがさらに死と再生を繰り返していくこと、それに希望を抱いていることで終わります。素晴らしい幸福の予感を描くのです。

対して『キリング・ストーキング』での主人公たちは一般の人々が「愛情の表現」とする当たり前の考え方と行動がどうしてもわからない、のです。

特にサンウは上っ面で女性を引き付けてしまうためにそれからの関係性を築くことができません。

ウジンにいたってはそもそもが他人と関係できないのでわずかにできた関係性に執着してしまうのです。

偶然ウジンが暗証番号を引き当てたことでふたりは出会ってしまいます。他人との関係を構築できない人間ふたりが出会い片方がもう一方に強い好意を持っていたためにふたりの物語は始まってしまうのですがそのつながりは今にも切れてしまいそうな細い糸でしかないのです。

 

何度も切れてしまいそうになりながらふたりのつながりはぎりぎりに続いていきます。

それは『残酷な』で意識的に続けたものと違い他に何もない誰もいないふたりが無意識にすがりついていたように思えます。

 

まだ続くかも。