二日間『キリング・ストーキング』読み込んでいました。再読していっそうその卓越した技術に感服するばかりでした。
主人公ふたりキャラが好み的ではないのは変わらないのですがそれでも飛びぬけた魅力があるのを感じます。
ネタバレしますのでご注意を。
見返すと最初の頃のふたりは割と素朴な造形です。後のほうになるほどキャラの性格も容貌も特徴が際立ってくるのですがそれに比べると出だしはあっさりした個性に見えます。案外こっちのほうが私としては好みですw
とはいえ読み進めていくともう彼らから離れられなくなってしまうのです。
読んだ人は少し精神がおかしくなってしまうのではないでしょうか。
ふたりの関係は愛なのかただの共依存関係なのか、という選択問題など必要ないほど物語の過程はふたりが依存しあう関係であることを説明していきます。
その依存性が極端に苛烈な暴力(両足を殴打し骨折、身体を切り裂く、言葉による精神的な追い詰め)によって成立していくわけです。
ユン・ウジンはパーソナリティ障害もあって定職もない20代後半男性です。貧弱な肉体でいつも怯え何かを怖がっているようです。それは両親を早く亡くし貧困の叔父と祖母の家で養われ叔父から性虐待を受け続けてきたことが起因しているようです。
オ・サンウは表面的にはウジンの真逆の存在です。筋骨隆々とした肉体美を持ち人当たりがよく他人から好かれてしまう能力を持っていますが内面はウジン以上に脆弱なのです。
ウジンはそうしたサンウの「輝かしい強さ」に惹かれストーキングの末に彼の家に侵入してしまいます。つまりサンウからではなくウジン自身がサンウに攻撃されてしまうきっかけを作ってしまうのです。
その後の展開もお手本のような暴力の加虐者と被虐者の関係性が物語られていきます。
それはまさにDVの説明書どおりといっていいものです。
これはもう「愛」とは言えないはずなのです。
特に近年はDV、セクシャルハラスメントなどについての問題提議が頻繁に取りざたされ論争も激しくなってきました。
私自身そうしたものを読んだり聞いたりしていくうちに様々なことを学びそれまでの考え方や価値観も変化していったと思っています。
この『キリング・ストーキング』考の中でも書いた映画監督・キム・ギドク氏の性暴力の報道は彼の作品が好きだった私にはやはりショックでありました。
彼の作品はもう観ることが耐えられないとも思ったのです。
そんな時期に出会った『キリング・ストーキング』は新しい作品にもかかわらずあえて性暴力と共依存を題材にしたもので私は疑問を感じました。
しかもこの作品は「だからといって性暴力や共依存の中に愛もある」とは描いていません。
彼らは導かれることがなかった悲しい子供たちなのであり、愛を求め愛したかったのに愛することがどんなことなのかどうすればいいのか、わからない子供たちなのです。
もちろん「彼らはもう年齢的に子供とは言えない」のであり「成人したからには良い人間になるよう努力すべき」なのでしょう。
しかし彼らはその方法を知らなかった。学べなかったのです。
そしてわからないままに求めあいやはりわからないまま死んでしまうしかなかったのです。
例として出してしまったキム・ギドク氏も(伝え聞いた通りならば)学べないまま死んでいった人なのです。
そして多くの学べないままにいる人々がいるのです。
しかし学ぼうと努力し変化した人々もまた多くいます。
私自身もそうしてきたと思っています。
そのために今度は暴力を題材にした作品を遠ざけてしまうことになりました。
それもまた間違った選択でもあるのです。
『キリング・ストーキング』はもう一度私に暴力と愛情について考えさせてくれました。
作品のあとがきで『キリング・ストーキング』サンウはウジンを愛していたのか?という質問が最も多く作者氏の答えが「最後まで見守ってくださった読者ならおわかりのはず」という答えだったわけでしつこく具体的な答えを求めたいならば私は「サンウはウジンを愛していたけどその方法がわからなかったのです」と答えたいです。
そしてウジンもまた同じなのです。
愛する方法も人間は学ばなければわからない、のです。
そしてなぜか人間はわからない時に暴力をもって伝えようとするのです。
変な動物ですね。
物語の中でヤン・スンベもふたりと似たような幼少期を送ってきたようですがそれでも彼らより人の愛を受ける機会が多くありつまり「愛する方法を学んできた」のでした。
なのでヤン・スンベはオ・サンウにはならずにすんだのです。
サンウは愛する方法を知らないから「俺が死んだらお前も後を追って死ね」という間違った遺言を残しウジンもまた愛する方法を知らないのでそのままその遺言を果たします。
知っていればふたりが作った愛情を思い出として一人で生きていくのです。
「愛する方法を学ばなかったふたりが出会い愛し合った物語」が『キリング・ストーキング』でした。
この作品は私にとってかけがえのない大きな財産となりました。