ガエル記

散策

現在の性認識と源氏物語 その2

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今朝アップした記事は少し前に書いていたものでしたがうまくまとめきれずそのままにしていました。

しばらく書き上げるのは無理かな、と思っていた時に上の記事を読んで後押しされる気持ちで書いています。

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上の比較を見ると今更に日本という国の性認識の異常性を改めて思い知らされてしまいます。そして他の国と同じように性行同意年齢を上げようとすると「そのままでいい」「13歳との間にも真剣な恋愛が存在する」「13歳でも性交は理解できる」という反対派がそれを押しつぶしてしまう、という事態を繰り返しているわけです。

しかも今回リベラルで先進的だと思われていた立憲民主党議員から同じ反対の言葉が出てきたことが「性行動異年齢」を上げたいと思う人々に衝撃となっているのです。

 

そして再びここで『源氏物語』の中の当時12歳ほど思われる紫の上と性交した歳の離れた(9歳ほどでしょうか)光源氏の例が持ち出されてくるわけです。

源氏物語』において成人男性・光源氏と幼い少女であった紫の上の恋愛は至上のものであり日本の古典として歴史として「女性によって」描かれたものである、と。

しかし果たしてその考察は正しいものなのか。

私は優れた女性作家・紫式部はこの最古の長編小説の中ですでに現在とほぼ同じく性愛における女性の苦悩を描きつくしている、と思っています。

そしてその中でも最も深く重い苦悩の役を作者によって与えられたのが最も美しく愛らしい紫の上だったのです。

 

前回書いたように幼女であった紫は光源氏の保護下にある存在です。

物語では源氏が若いせいもあって「お兄様」と呼ばせていますが実質は養父です。

つまりここでは養父と養女間の性交もまた問題になっているのです。

物語の先では仲睦まじい夫婦として寄り添うふたりですが成人男性にレイプされた幼い少女紫の上は長い間嘆き苦しみ悲しんでいます。

しかし彼女には逃げる場所がないのです。

あてのない孤児のような状況だったのです。彼女が心を殺して源氏に従った、のはよく実夫にレイプされ続けた実の娘が逃げることができなかったのと同じなのです。

しかも彼女は実の父娘でもないことから生涯心を殺し続けたと私には読めます。

それは光源氏が紫を得てからもずっと他の女性との性交を続けたことにも由来します。

紫の上の性格を源氏は「醜い嫉妬を見せず素直で柔らかな人柄」とほめそやしますがそれはそうしなければ「捨てられてしまえば生きていけない」身の上の彼女にとっての生存戦略にしか過ぎなかったのです。

人はそれを愛と呼ぶのでしょうか。

私はそう思いません。

様々な女性との性交の話を聞かされ続ける紫の上。それは地獄だったはずです。

しかし源氏はその様子さえ「私たちは特別な関係」と自慢しています。なんという愚かさなのか。もちろん紫の上はただのひとりとも別の男性と関係を持ちはしません。

そして先にも書いたように作者は紫の上に当時の女性にとって最も大きな幸福である子供をひとりも与えませんでした。

さらに作者は源氏の愛人である明石の君に生まれた一人娘を取り上げ紫の上に育てさせるのです。

愛情深い母親からまだ三歳の一人娘を奪ってしまうのです。

そんな男性、そんな人間が「良い人」であるはずがないのです。

光源氏、この男が「理想の男性」であるはずがないのです。

紫式部は巧妙に日本男性によくある性質を集め表面上は立派な貴公子として見せて実はその男性性がいかに恐ろしくおぞましいものであるかを描いたのです。

この光源氏という男は常に言葉の暴力を使って女性たちを操り拘束していくのです。彼がよく使う言葉は「世間の物笑いになってはいけない」「世の中のそしりを受けるよ」そして「女はこうあるべき」と言い聞かせていきます。

現在でいえばセクハラでありモラハラと言えるのですが当時の女性たちは源氏の(男の)言葉を聞いて「そうかもしれない」と自分に言い聞かせ自己の心を抑制してしまったのでしょう。

 

最も光源氏に愛され(レイプされ監禁され続けたという意味ですが)た紫の上と同じように幼い少女期に彼の妻となるのがラスト近くに登場する女三の宮です。

彼女は源氏の妻になった年齢が似通っている以外はちょうど紫の上と真逆に描かれていきます。

頼るもののない身の上ながら幼少期から美しく賢く明朗な紫の上と反対に帝の娘という最上級の身分の三の宮は容姿も頭脳も性格もいまいちぱっとしない物足りない少女です。

とはいえ彼女はその身分ゆえに源氏の正妻となります。

紫の上は中年となってから自分の存在の危うさに愕然となるのです。苦悩する紫は出家を願いますが源氏は聞き入れません。彼女には何の決定権もないのです。彼女は次第に病気になっていきます。

一方、女三の宮に対して源氏は失望しています。

かつては幼女を自分好みに育てた源氏にもその気力が持てず愛情も半端でしかないためか三の宮は彼女に思いを寄せる若い男と性交してしまうのです。

しかも三の宮はその子供を産むことになります。

前回この物語で幸福が子供となって表現されるとしたことを思えば女三の宮は源氏とではなく別の若い男との間に幸福を作ったのです。

ここからの光源氏の醜悪さはかつての光る君の魅力はありません。

自分の数えきれない浮気をよそに女三の宮に冷酷な言葉と仕打ちを与え相手の男である柏木を呪い殺すかのように追い詰めていきます。

しかしここで源氏は思いつくのです。

かつて自分が行った義母との性交を父は知っていたのではないかと。そして自分に同じ運命が訪れたのだと。

これこそが紫式部が放埓な性を楽しんできた光源氏に下した罰でした。

 

そして紫の上と違い愚鈍に思えた女三の宮はここで颯爽と出家をしてしまうのです。それもまた源氏に対して「お前はひとりよがりでしかない。お前は結局女性を幸福にはできない男でしかないのだ」という罰なのです。

それを成し遂げたのは理想の女性・紫の上ではなくおどおどとして頼りない女三の宮だったのでした。

しかしその唯一のよりどころである紫の上もまた念願の出家を許されないまま形ばかりの髪削ぎをしただけで死んでいくことになります。結局紫の上は光源氏の言いなりで生涯を終えました。彼女には一切自分というものが与えられなかったのです。

 

紫式部という女性はなんという知性を持った人だったのでしょうか。

私は現在の小説でもここまで深い観察力と研ぎ澄まされた感性を持つものはないのでは、と思います。一方人間というのはこうも変わらないものなのか、とも思えます。

 

大変な連続人気小説だったとも聞きます。もしかしたら最初は軽い気持ちでミーハーに美貌の貴公子の恋愛話を書いていたものが次第に深く考えていくようになったのかもしれません。

一般には源氏が人妻に夜這いする空蝉の話と源氏に思いを寄せるあまり生霊となってしまう六條御息所の話が何度も繰り返されているように思えてなりません。

たしかに魅力的なのはわかりますが最初の頃の話なのでそこだけが切り取られてしまうように思えます。

一方問題の紫の上の逸話は実際はそれほど衝撃的ではないので(つまりレイプシーンが描写されるわけではないので)どうやら源氏という成人男性が幼い少女をものにしたようだ、という適当な解釈をされていると感じます。

そして後に行けば行くほど源氏の「嫌な男性性」が露骨になっていきます。

光源氏のかっこよさのクライマックスは宿敵である右大臣の娘・朧月夜との秘め事が露わになった時にも不敵に微笑む場面です。

以降、光源氏は立場ばかり気にする情けない男に成り下がっていくのですが、実際はここからが紫式部の本領なのです。