「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」
立憲民主党所属の一議員の発言からそれに対する賛否がネット上で巻き起こり一週間たってもまだ収まらない状態です。
「立民議員の発言なら擁護するのか」などの反発もあるようですがリベラルであると思われる立民の男性からこの発言があったからこそより衝撃もあり「どこまで考えが腐っているんだ。日本中の男がそうなのか」というがっくり感が激しいのだと思えます。
さらに発言支持者たちはここにきて『源氏物語』の光源氏と紫の上を引き合いに出しているようなのですが何故いつもこの話題「ロリコン問題」になるとというかその時だけに我が日本が誇る偉大な最古の長編小説『源氏物語』が話題になってしまうのか、ネトウヨは常時もっとこの古典を誇れよ、とさらに横滑りな怒りが湧いてきてしまうのでした。
彼女が作り上げた主人公男性・光源氏は女性が理想とする美しく才能豊かで財産も地位もある貴公子です。彼は自分の力量を最大限活用し幾多の女性と浮名を流しながらどの女性も見捨てず誰からも尊敬され堂々たる存在の男性になっていきます。
一般的には雅で華やかな恋愛物語として女性たちが夢見憧れる、と認識されているように思われますが実際物語を読んでみればとてもそんな甘いものではないと解ります。
私は田辺聖子著の『新源氏物語』を読みましたので別の作者の手によるものとは感覚が違ってくるのかもしれませんが田辺版の源氏はとても「理想の男性」と憧れられるような人物には思えませんでした。
田辺氏自身は源氏を魅力的に描くことを目指しておられたようなのでそれをいうのは心苦しい気もしますが原作に忠実に魅力的に描くほどその実態が暴かれてしまうことになったと私は思います。
そもそも紫式部はなぜこのような物語を作り上げたのでしょうか。
それは当時の日本社会での女性はどんなに優れた人であっても結局は幸福にはなれないのだ、という嘆きを描きたかったからではないかと私は思います。
これは現在の日本社会にも同等に通じるように思えてなりません。
そして彼女は「女性の悲劇」を表現するには最高の女性と最高の男性を描き切れなければいけない、と考え光源氏と紫の上を生み出したのではないのでしょうか。
つまり主人公の男性が醜悪であったり貧乏で地位が低ければ「そのために」女性が嫌悪を抱く、というのだと恋愛の本質が描けない、と紫式部は考えたのです。
そのため彼女は光源氏にすべてが最高の品質を持つように作り上げ「このようにすべてが優れた男性」であっても「男性の放埓な性的思考と行為」は女性にとって不幸でしかない、ことをとことん描き上げていったのです。
光源氏の最愛の女性・紫の上もまた理想の女性として描かれています。美しく賢く心優しく生まれついたのですが、源氏と違って彼女にないのは財産と地位でした。
身寄りの力のない紫の上は幼くして光源氏に誘拐され彼の庇護下になることを強制されてしまいます。
そして12歳ほどの年齢で源氏にレイプされた紫は激しく苦しみ嘆き悲しみますが何の力もない彼女はやがてその境遇を受け入れてしまうしかありません。
そうしなければ生きるすべがなかっただけなのです。
後年、すっかり寄り添った夫婦となっても紫の上は「あの時私はあなたをお兄様として慕っていたのに無理強いをされた」と源氏に話します。源氏は「そんな昔のことを」と驚く場面があるのですが現在のmetoo告白にも似たものを感じます。
一体その当時に紫の上の心理とはいかなるものだったのでしょうか。
彼女ほど哀れな女性はいません。
容姿も頭脳も性格もすべて優れているにもかかわらず源氏だけの性の相手としての人生を強いられました。
しかも源氏は彼女を手に入れても多くの女性との性交渉をずっと続けしかもそのすべてを彼女に告白するのです。このことを「紫の上は心が優しく醜い嫉妬をしなかった」というのですがそれは単にそうしなければ生きていけなかったに過ぎないのです。
彼女はずっと源氏の性を受け入れ続けることでしか生きられなかったのです。
怖ろしいことに紫式部は紫の上に子供を与えません。
今とは違い子供を産むことが女性の仕事だった(今でもそうだという考えもありますが)時代に作者は理想の品格を持つ女性に子供を与えなかったのです。
これはどのような意味合いがあるのでしょうか。
現在発言すると問題になるのでしょうがかつての時代は子供があることがそのまま愛情の豊かさであるとも考えられていました。
『源氏物語』でも源氏よりも情愛深い友人は子だくさんであり源氏は子供が少ないのです。(性交渉の数は多いのに)
後で出てくる玉鬘にも子供が多いのですが彼女は幸福な結婚をした、と記述されています。
とすれば紫の上は「幸福度がゼロだった」と考えられるのではないでしょうか。
最高の美を持つ女性が最高の男性と結ばれながらまったく幸福ではなかった。
彼女はあまりにも幼くして性的に結ばれた、というより性を奪われてしまったためにゆっくりと愛情を育てる時間がなかったのだ、と作者は語っているように思えるのです。
『源氏物語』は恐ろしい小説なのです。