ガエル記

散策

『闇におどる猫』横山光輝

「冒険王」(秋田書店昭和32年5月号付録

 

先日、ひらさんのⅩポストで知った『闇におどる猫』横山先生ご自身が登場するというのと猫が出てくるというので読みたさを抑えられず古本購入しました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

36ページの短い作品ですが横山氏独特の不思議な味わいがあります。

ひらさん(と別の方のやり取り)ポストで横山先生が自殺する話だけどそれは最初からなのでネタバレではないと知っていたのですが確かに冒頭も冒頭に「ある漫画家の死」と書かれていてその下で横山先生が「ね、猫め!き、きえろ」と苦し気につぶやいている場面から始まります。

いつもながら読む者を引き込む力がすごいです。

気になるではありませんか。

そこへ友人らしき男性がふたり訪れ血の付いたナイフをもったままの横山先生がドアを開けて出てきて倒れるのでした。

ふたりが「人殺し」と叫んだことで警察がすぐやってくるのですが死体を見るなり「これは自殺だ」と判定します。山口刑事と呼ばれたその男性はふたりの名を訊ねると「友人のオオトモヨシヤスです」「同じく岸本です」と名乗ります。このおふたりもまた実在の人物であり横山先生の友人の方なのでしょう。オオトモヨシヤス氏は横山氏が「このごろ変でしきりに猫と言っていた」と証言します。そして横山氏の部屋からは猫を扱った漫画と氏が書き残した日記が見つかります。

山口刑事はその日記を見て唸ります。

これ以後のマンガはその日記を再現したもの、という仕掛けになるのでしょう。

こう言う構成はイギリス小説映画などによくあるもので私は大好きなのですが横山氏の初期作品はわりに西洋的な設定や仕掛けが見られてとても楽しい。読書や映画鑑賞の影響なのだろうと思います。

 

とはいえこの少ないページ数を感じさせない濃厚な内容が詰められているのはやはり横山氏の優れた才能としか言えません。

ぽんぽんとリズムよく場面が展開し無駄なく物語が進んでいくのが心地よい。だけどその内容はありきたりではなくどこか奇妙なのでひっかかる、というのもおかしいけど変に心に残ってしまうのではないのでしょうか。

 

ひらさんのポストで読んで気になっていたのが「横山先生が(精神を病んで)須磨に旅行するけどその風景が『まんが浪人』の砂浜と同じ」というものでした。

須磨を知らないわたしにとって須磨は『源氏物語』で光源氏が罪を犯して都から移り住んだおそろしく寂しい場所なのですが横山先生にとっての須磨は故郷であり疲れた時に帰る場所であり旅立つ前にその景色を眺めた場所でもあるのですね。

この姿は『三国志』で劉備玄徳がまだ何者でもなかった青年の頃に黄河を眺めていたことや『バビル二世』でバビルが地球に不時着し途方に暮れている姿と重なってしまいます。

この作品でも須磨に旅行した横山先生は海を眺め「いいながめだ」とつぶやいてぐっすり寝込んでしまうのです。

 

映画的手法において水辺というのは死の世界を連想させるものになっていますが本作で海岸を訪れるのはそうした関連性を考えてのことだったのか、それとも横山氏の感覚がそれを偶然選んだのか、気になります。

 

横山光輝氏の現実の最期がタバコの火の不始末で火事になってしまったことが原因だったこと、この作品で何度もタバコの吸いすぎが描かれ煙草の火の不始末についても描かれているのがやはりとても胸騒ぎを起こさせる作品に思われます。

ふたりの友人が「かわいそうな男だよ」と言い残して去っていくのも何とも言えません。

でも描かれている猫はとても可愛いのです。