ガエル記

散策

『バビル2世』横山光輝 ⑪

ヨミはF市の地下に作った基地へと戻り部下たちに総攻撃をかけるよう指示した。

サントスというロボットが大量に出動し次々と自衛隊の戦車を破壊していく。自衛隊が対抗したがまったく歯が立たない。

最終兵器的に投入されるロボットが巨大ロボットではなく人間大のものではあるがまったくこちら側の攻撃が効かず一つ目から発射されるビームであっという間に人間が焼失されてしまう、というのが恐ろしい。無論乗り物も簡単に破壊されてしまう。

局長はバビル2世に「なんとかならんか」と訊ねる。バビル2世の答えは「しもべたちを使えば戦えるが逆にヨミに操られてしまえば逆に襲われる」そして自衛隊隊長に空軍への救助を頼み自分に与えられた超能力で戦ってみます、と答えるのだった。

 

バビル2世はロボットの光線を別のロボットに照射することで始末していく。その鮮やかさに皆息をのむ。

良い性格をしているな伊賀野氏。

バビル2世の「早く逃げてください」という言葉に慌てて自衛隊隊員たちは移動していく。

しかし伊賀野が動かないのを見て局長が問うと

というわけで

という名場面につながる。

ここだけ見るとふざけているようだがじっくり読むと泣けてくる。

 

ロボット=サントスが次々とやられていくのを見て部下たちはヨミに問うが答えは「かまわん」だった。

ヨミはバビル2世が超能力を使い果たし疲弊するのを、待っているのだ。

えっ、ここにいる自衛隊隊員はなんだろうか。

この後局長&伊賀野氏が出るコマにはもう出てこない。全員逃げたはずの隊員がひとり残っていたというのもおかしいし。

誤字ではなく誤絵かなあ?謎だ。

 

ヨミは煙幕を使ってバビル2世にバベルの塔が破壊される予告をする。しかしバビル2世は目の前のロボットを始末する方を選ぶ。

ついに

バビル2世がロボットを全滅した。傷だらけになって現れたバビル2世を伊賀野氏は心配する。

大丈夫ですよというバビル2世を説得して

自衛隊員いないしw

とても心温まるエピソードだ。

 

ヨミは想像より30分も早くサントスが全滅したことに動揺する。バビル2世への恐れが強くなる。

ヨミは残っているビールス人間を繰り出してバビル2世を攻めさせその超能力を使い果たさせたかった。

だがビールス人間は局長や合流した自衛隊員が所持しているニンニクエキス弾で倒せるのだ。

救助ヘリが到着しバビル2世達はF市から離れた。

 

病院で治療を受けたバビル2世はその驚異的な治癒力で医師たちを驚かす。しかしバビル2世には重要な不安要素があったようだ。

とはいえ体力を取り戻したバビル2世は見舞いに訪れた伊賀野氏に「F市の下水道の出口を塞いでほしい」と要請した。ヨミの基地は地下にあるのだ。

伊賀野氏はバビル2世に「バベルの塔への攻撃を心配しなくていいのか」と問う。

バビル2世はヨミの考えを把握していた。

バビル2世をバベルの塔へ誘導しその間にこの日本を支配下に置こうと企んでいるのだ。バビル2世はそれに乗らずヨミの基地を叩き潰すほうを選んだ。

 

バビル2世は単身F市へ乗り込む。その様子はヨミの基地でも確認していた。

バビル2世はF市中で合図の照明弾をあげる。

市外にいた局長・伊賀野氏は自衛隊に煙幕弾を撃ち込ませる。

市内は煙幕で見えなくなる。そこでバビル2世は行動を開始した。

超能力で水道管を破裂させヨミの地下基地に流れ込むようにしたのだ。

突如基地内に水が流れ込み部下たちは慌ててドアを閉め通風孔を塞ぐ。そしてヨミに助けを求めたがヨミからの返事はなかった。

このままでは狭い地下基地に閉じ込められ酸素がなくなっていくのを待つだけになる。

街中の煙幕が晴れるとモニターに外の様子が映し出された。洪水になっている。部下たちはヨミの超能力に助けを求めるしかなかった。

 

バビル2世は病院へと急いだ。そこにはヨミ組織が改造人間を作っていると見たからだ。案の定そうした手術が行われていたがバビル2世によって病院内も洪水となりそこで働いていた部下たちも改造人間も溺死した。

 

ヨミが現れた。

全てを破壊されヨミの怒りは凄まじかった。

その怒りでバビル2世と対峙した。

しかしバビル2世は超能力を使い外へと脱した。

ヨミはすぐさま後を追って衝撃波をくらわせたがそれはバビル2世の姿をしたロデムだった。

 

本物のバビル2世は静かにヨミに問う。

「地下に閉じ込められたおまえの部下たちはどうなっていると思う」

テレパシーでヨミは部下たちの苦しみを知る。

ヨミは青ざめた。

バビル2世は「このままではみんな死ぬ」という。

ヨミは「しかたない。このまま部下を見殺しにするわけにもいかない」と戦いを中断し封じられている下水口を解き放ちに急いだ。

がその途中にポセイドンが待ち構えていたのだ。

ポセイドンの巨大な手に捕まれたヨミ。

そこへ自衛隊員がニンニクエキス弾を撃ち込む。

しかしヨミの壮絶な超能力によって弾はそれポセイドンへの命令がなされた。

自衛隊員がさらに弾を撃ってもヨミには届かない。

バビル2世は皆に逃げるよう指示した。

しかしヨミはポセイドンを使って隊員たちを倒していく。

バビル2世はたまらずヨミにつかみかかった。

 

 

ヨミの顔はすっかり年老い白髪となっていたのだ。

ヨミはバビル2世に衝撃波を送り込む。

 

バビル2世は水中に落ち込んだ。が、ヨミの二発目の衝撃波は彼が吸収するにちょうど良いものだった。

バビル2世は勝利を宣言した。「おまえはエネルギーを使い果たし急速に老化をはじめているんだ」

ヨミは「こうなったらどちらが早く息絶えるかだ」と勝負を挑んだがその体はもうバビル2世との戦いに耐えうるものではなかった。

かすかにポセイドンを呼びバビル2世から放させた。

さらなるバビル2世からの衝撃波の中でヨミは「PH三〇四」とだけ呼んだ。

そしてバビル2世には「やられたよ。もうわしのからだはたえられん」と伝えたがバビル2世はさらに衝撃波を加えた。

「いま・・PH三〇四が・・おれをほうむってくれる・・」

そして息絶えた。

 

基地からPH三〇四とおぼしき機器が現れヨミのからだを回収した。

そこへ局長・伊賀野氏・自衛隊員たちが駆け付ける。バビル2世から機器の中にヨミがいると聞いて攻撃をしたがバビル2世はそれを止めた。「まってください。これはヨミの棺です」ヨミの死を知って驚く彼らにバビル2世は続けた「ヨミは自分が破れる時、そのからだを人目にさらすのが嫌でこんな機械を作っていたんでしょう。きっとヨミはいつまでも神秘の人でありたかったんでしょう」

ヨミの遺体を収容したPH三〇四は空高く飛んで行った。

 

バビル2世は局長たちにヨミの部下や改造人間を捕まえるよう指示してロプロスに乗りポセイドンとロデムを従えて去っていった。

 

バビル2世はバベルの塔へと戻った。

ヨミが告げていたバベルの塔への攻撃はコンピューターがすべて撃退していた。

バビル2世は信じていたと告げる。

そして言った「おまえは僕が超能力を使いすぎるとどうなるか答えてくれなかった。でもヨミの姿を見てわかった。ぼくもああなるんだろう」

またしてもコンピューターは答えなかった。

「思えば長いヨミとの戦いだった」

 

バベルの塔にふたたび静寂がとりもどされた。バベルの塔は永遠にその姿を砂の中にかくしていることだろう。

 

11巻は「外伝」でも少し続きますがここで一段落です。

私はどうしてもこの『バビル2世』の物語が横山光輝自身のマンガ能力物語として読めてしまいます。

特に横山世代のマンガ家諸氏の仕事量は半端ではなかった。

当時の人気漫画家たちがそろって早死にしているのを見ればまさに「超能力を使い果たして急激に老化し死んでいった」と思えます。

横山氏のことはそんなに知らないのですが大病をされていたことを読むとどうしてもヨミに横山氏を重ねてしまいます。

横山氏はよく着物姿で写真を撮られていますがヨミの服装もそこからきているように思えてなりません。

この『バビル2世』の時が一番ハードだったと書かれていますからそれこそヨミのように超能力を使い果たされていたのではないでしょうか。

横山氏をヨミに例えるのならバビル2世は誰なのか。『バビル2世』執筆時は横山氏は30代後半から40代の始め頃でしょうか。

漫画家としてもっとも充実する年齢でしょうけどその代わり新人が追い迫ってくる感覚もあったのでは、と思ったりもします。

手塚治虫氏は若手マンガ家に対しあからさまに敵対心を顕すので有名ですが横山氏のそうした話は聞いたことはありません。とはいえ作家がそんな苦悩をまったく持たないとは思えません。

というか若いバビル2世がヨミの「友」にならず敵対してきた、と描く様子から強い戦いの意志が感じられるのです。

 

バビル2世もまたいつかはヨミのようになる、と予言してこの作品は終わります。

老いさらばえたヨミが惨めに死んだ姿を見られたくないとPH三〇四にその遺体を回収させ、あの冷徹なバビル2世がその棺だけは何もせず見送ったとする最期に横山光輝氏の闘争心と戦った相手への尊敬の念を思わせます。

 

むろんこれはマンガ家だけの現象ではなくすべての職業や生き様に当てはめられることです。

横山氏の「バビル2世は孤独に死んでいったんでしょう」という言葉にも死の死生観が伺えます。

今はもう少し幸福な生活を求める世代になっていると思うのですがこうした横山世界観はどう捉えられるのでしょうか。

 

といっても晩年の『殷周伝説』の最期を見るとちょっとほっこりしますので中年期と晩年期では人間の死生観は変わるのでしょう。