ガエル記

散策

『その名は101』横山光輝

『バビル2世』のいわば続編ですね。

名作でありみんな大好き『バビル2世』と違い本作はその評価は低いようです。

私としても『バビル2世』の時のように一巻ずつ読んで感想というのではなく全体として感想を書いてみようと思っています。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

まずそのタイトルについて考えてみたいのですが「101」というコードネームの意味というのはどこかで説明もしくは分析されているのでしょうか。

「101」の意味を検索してみると入門編だとか素数だとか他にも様々な意味を含むようですがいまいちつながりを感じません。

そもそも『バビル2世』の時点で私はあの作品がSF忍者ものだと思いさらに白土三平の『カムイ外伝』を意識して作られたのではないかと感じました。

それで言えば忍者ものには「くノ一」という女忍者を示す言葉があります。もちろんみなさんご存じでしょう。「く」と「ノ」と「一」を組み合わせれば「女」という字になる、というヤツです。

ならば「101」も「くノ一」ではないのでしょうか。つまり「101」を分解すれば「10=十」と「1=一」になります。「101」=「十一」これを日本語として縦書きすれば「士」になります。

「士」の意味はと調べたら「りっぱな男子。独立した成年男子。」とありました。

「民の上に立つ者。」とも書かれています。まあふつうに「武士」や「兵士」を連想する字でありましょう。特別な力を持つ男子、とでもいうのでしょうか。

なので『その名は101』は『その名は特別男子』でもいいし『その名は士』だけでもいいかもです。

と考えたのですが執筆公開されてからかなりの時間(40年以上)が経っていますからこのような考察はとっくにされているのでしょうけど。

 

さてとはいえこの『101』不評のようなのですが私は上記に書いた理由からこの作品こそ横山光輝氏が描きたかったのではないか、と思ってもいます。

つまり「孤独な戦いを生きるカムイ」を自分でも描きたくて「101=士」を創造したのです。

『バビル2世』⑫の記事で「伊賀野氏とのわちゃわちゃが楽しい。もっとこれで描いてほしかった」と書いたのですが実は横山氏後悔したのではないでしょうか。

伊賀野氏が出てくるまでは『バビル2世』はかなりカムイを彷彿とする孤独の戦い(三つのしもべはいるとしても)を繰り広げていたのに伊賀野登場でついつい羽目を外してしまったのです。地が出てしまったというのでしょうか。

横山光輝の魅力は組織を描くところにあると思っています。それも悪ではなく正しい組織です。

鉄人28号』も『伊賀の影丸』もそうした正しい組織の物語であり『三国志』もまたそうでしょう。

横山氏はアウトサイダーより本道を描いてヒットする作者なのだと思います。戦国ものでも有名な武将を主人公にした作品を選んでいます。底辺の人間や名前も知らないという人物を選択しない人なのです。

その反面白土三平が描いた底辺の忍者カムイという世界に憧れていた人でもあったのではないでしょうか。その好みは『狼の星座』や『長征』のような作品に現れていますがやはりどうしても大ヒットした作品ではないようです。

その横山氏が『バビル2世』でそのアウトサイダーの片鱗が現れたのかもしれない。ただ『バビル2世』では国家保安庁と手を組んでしまったのです。最初はそれも細いつながりだったのが伊賀野氏とバディになってしまったことで本来の狙いからずれてしまったと思われたのではないでしょうか。

 

その無念さが作用して『その名は101』で浩一は完全にカムイ的な「抜け忍」としての活躍を始めていきます。

冒頭に女性が悲惨な目に合うのも白土的な影響に感じられますが白土氏のそれと違って横山氏が描く女性の悲運はあまりいただけない気がしてしまいます。

それがためかそれ以降は相変わらず女性が活躍しない男だけの世界になっていくのはまあ横山光輝らしい流れということです。

 

ただ『バビル2世』ではヨミの組織が生き生きと描かれそれが魅力となっていたのが『101』では横山氏の得意な「組織わちゃわちゃ」がまったく無くなってしまったことが大きな損失だったのだと思います。

残念なことなのか、喜ばしいことなのか、横山光輝氏には「抜け忍カムイ」は描けなかった。少なくともそれでは多くの人を惹きつけられなかったのでした。

そのせいなのか作品は5巻で再び蘇ったヨミと101を再会させてしまいます。ここにどうしても氏の迷いが現れてしまった気がします。

 

そう思えば『バビル2世』は奇跡のような作品にも思えます。

悪側のヨミ組織で得意なわちゃわちゃを描きつつ、正義側のバビル2世で憧れの孤独な戦士を表現できた。

それはバビル2世が「少年」だったからこそできた瞬間的な奇跡なのかもしれません。

少年だからこそ一人で爆走できたけどそれは長く続きはしないのです。

 

横山光輝氏の作品年表を見ると『バビル2世』以後も様々なヒーローを生み出そうと苦悩しやがて歴史ものに移行されていく様子がわかります。

歴史ものは集団を表現していくことになるので横山氏の得意技、と私は思うのです。