続けて観たこともあってその差異と共通点を感じたのが韓国映画『はちどり』です。
若いキム・ボラ監督第一作のシンプルな構成と比較すると本作は非常に技巧的な熟練を感じさせます。
『岸辺の旅』はタイトルからしても年を経て生きていく悲しさがあり『はちどり』は浮遊するために激しく羽ばたく力強さと軽やかさをイメージさせます。
ふたつの作品のネタバレしますのでご注意を。
『岸辺の旅』と『はちどり』が不思議に似通う点があり時間を経た一つの作品のようにも思えてしまうのです。
類似を感じるのは両作品のヒロインが物静かで内向的であるのに時に爆発してしまうからでしょうか。
昨日も書いたことですが両作品が「手と指」を重要なアイテムとして描写します。
『岸辺の旅』での夫・優介の立場にあたるのは『はちどり』ではヨンジ先生です。
それぞれのヒロインは作品の中で自分の生き方について迷い考えていくのですがその案内人となる存在です。
このふたりは自分の手・指が動くことが「生きる」ことだとヒロインに教えます。
物語の案内人であるふたりは水死しています。ヒロインたちはそれぞれ大切な人が亡くなった場所へと赴いてその場所を見、そこから未来へと歩き出します。
『岸辺の旅』は女性作家の原作から作られています。
描かれた年代は14歳と40歳くらい。人生がこれから始まるという時期と人生のちょうど半ばという時期です。
少女の案内人は同性の教師であり中年で人生に疲れたヒロインの案内人は死んでしまった夫です。少女が書道教室で教師と出会ったことと死んだ夫を100枚の毛筆でよみがえらせたことも変に似通っているのです。
そして少女は教師から妻は夫から「この世界が美しい」ことを教えられ生きていくことを学ぶのです。
それぞれのラスト、少女がこれからを迷うように視線を動かすのに対して『岸辺の旅』の中年女性は迷うことなく道を進んでいくのが対照的です。
少女は母からチヂミを作ってもらい瑞希は白玉団子を作ります。
少女は絵を描き、瑞希はピアノを弾きます。
食べ物と感性。女性にとって大切なものが描かれるのです。
『岸辺の旅』は監督自身が「幽霊」の存在を是認して描かれていますし私自身否定しているわけではないのですがそれでもこれはヒロインだけが旅をしたのではないかと考えています。
優介は戻ってきたわけではなく瑞希ひとりが優介の面影を抱いてそれを振り切るために旅をしたのではないでしょうか。
もちろん映画として優介を登場させたのはとても面白い技法で表現としてとてもわかりやすくなるわけです。
ただ現実は瑞希だけが旅をしてその場所その場所で優介がどうするかの妄想をしていたと思えるわけです。
やはりまだなにもわかっていない瑞々しい『はちどり』としたたかに生き抜かねばならない中年女性の『岸辺の旅』の差異はそこなのでしょう。
勝手にふたつの作品を融合させて考えてしまいました。
こうして偶然まったく違う作品を同じ時期に観てしまうのもなにかの縁かもしれません。