なぜか突然『ジェーン・エア』を読みたくなりついでに1944年製作の映画も観てしまいました。
以下ネタバレしますのでご注意を。
以前エミリ・ブロンテ『嵐が丘』について書いた時に触れたでしょうか。
少女期どちらも面白く読みましたが私ははっきり『嵐が丘』に惹かれました。
それはジェーン&ロチェスターよりもキャシイ&ヒースクリフの関係に魅力を感じたからでもあり『ジェーン・エア』の恋愛物語が典型的な古典であるのに『嵐が丘』は新しい愛の形に感じたからでもありました。
その好き嫌いは今でも変わってはいませんが『ジェーン・エア』が古風だからこそ興味深いものがあるように思い始めています。
今回再読していろいろと面白いものを発見しました。
シャーロッテ&エミリ姉妹それぞれによるこの二作品はさまざまに似通った部分と異なる部分があります。
奇妙な共通点と差異はちょうど主人公とその思い人の関係が逆になっているところです。
『嵐が丘』では裕福な館の住人がキャサリンという女性でそこへヒースクリフという孤児がやってきます。
『ジェーン・エア』では裕福な館の住人はロチェスターという男性でそこへジェーンという孤児がやってくる(家庭教師としてですが)設定になっています。
しかしこの立場の逆転自体が一方を古典的にし、もう一方は新しい形となるのです。
『嵐が丘』でも女性は権利というものがありません。しかしヒロインのキャサリンは裕福な男友達よりもなにもないヒースクリフとの愛を選びます。その形は歪んだものでありましたが。
『ジェーン・エア』は典型的な女性の成長物語です。
孤児として育ったジェーンですが生来なびくことのない気高さを持ち得ていました。
養母や慈善学校での酷い迫害にも屈せず立ち向かえるのです。やがて家庭教師の職を得て彼女はロチェスター氏の屋敷に引き取られた孤児の少女を教えることになります。
そして雇い主であるロチェスターとの愛を育んでいきます。
様々な障害も乗り越えやがてついに真実の愛をつかむ、という筋書きです。
身寄りのない貧しい少女が大金持ちで高貴な家柄の中年男性にみそめられ家柄や年の差という障壁を破る話は古今東西数えきれないほどある定番です。
角度を変えれば「若い女性の体を求めているだけ」「財産目当て」と言える設定が物語に夢中になっていると「真実の愛」と受け止めてしまう仕組みになっています。
例えば『サウンド・オブ・ミュージック』という清らかな作品も「若い女」と「財産」目当ての恋愛と言えなくもないのです。ところが鑑賞中は物語に入ってしまうのでそんな下世話は感じないのです。
話をもどして『ジェーン・エア』もまたそういうお話ですが読書中はジェーンの心の仲に入って共感してしまいます。そして彼女の自由になりたい・自立したい誰にも負けたくない、という強い意志を応援するだけなのです。
ジェーンはロチェスター氏以外の男性にはまったく恋愛感情どころか意識を向けないので(男性の登場も少ないしほとんどおっさん)若いもしくは貧乏な男性との比較もできません。なので彼女に反感も持てないのです。
彼女は人生でいきなりロチェスター氏を男性として意識するのです。確かに男性との出会いは少なかったでしょうがかなり唐突にも思えます。
一方のロチェスター氏はもう40歳を越えたほどの年齢で多くの女性との関係もあったことが描かれています。しかし出会った女性にはすべて失望するばかりでジェーンこそが初めて巡り会えた魂の女性だと打ち明けるのです。
なんだか奇妙な話です。
ジェーンもまたロチェスターの結婚相手に予定されるイングラム嬢を見て「彼には似合わない」と心中批評します。
恋をする者としては当然の反応です。
しかしその容貌において引け目を感じもします。
これも当然の反応です。
もう少し続けて書きます。
タイトルのオーソン・ウェルズ。配役を知っていても登場シーンで驚きました。
顔は確かに美男子ではないでしょうがロチェスターにしては若すぎます。そして背の高さにも目を見張りました。ジョーン・フォンティンが小柄なのでしょうがそれでもでかい。
慈善学校での学友にエリザベス・テイラーが。こちらは知らなくてびっくりでした。