ガエル記

散策

『輪るピングドラム』幾原邦彦 その2

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やっぱりこれでダメだと思いなおして再鑑賞の再鑑賞しています。

なんだろう。とにかく情報量が多すぎるのでそれでもまたやっと気づくことがあるのですがたぶんまだあるのだろうなと。

 

ネタバレしますのでご注意を。最後までわかっているネタバレです。

 

 

 

 

一応一度観たのでとりあえずの内容はわかっています。そのうえで観ていると言葉や映像の端々にいろいろな謎が仕込まれているのに気づきます。

決め台詞「きっとなにものにもなれないおまえたち」の意味は酷く重いものです。

彼らは親が犯した罪のゆえの罰として「なにものにもなれない」運命を決められているのですから。

 

私の幼少期には「孤児」の話がよくあったものでした。むしろ孤児でないと主人公になれないのでは、とさえ私は思っていました。

アニメ・マンガで有名なものといえば『タイガーマスク』『あしたのジョー』『キャンディキャンディ』

小説では『赤毛のアン』『ジェーン・エア』など他にも片親やなにかの理由で孤立して生きる子どもを描いた作品は数えきれないでしょう。

そして多くが「貧しさ」と「差別」と戦う物語でもありました。

時代が移ると次第に孤児の話は少なくなっていきますし貧困ではなくなっていくのですがその実情は「見えにくくなっている」だけであまり変わらないのかもしれません。

 

本作でいえば高倉兄弟ははっきりと孤児で貧困ですが一見裕福な荻野目家のリンゴも幸せではありません。むしろ兄弟でつながれている彼らを羨むのです。

 

今ちょうど「親ガチャ」という言葉が話題になっています。

「親のせいにするなんて」という反論もあるようですが高倉兄弟の身になれば「親ガチャ」という言葉がいかに子どもにとって切実かはわかるはずです。

「親ガチャ」という軽い言葉がないだけで昔は、いや今までもずっと貧困家庭に生まれた子どもや孤児は「なにものにもなれない」危機感を背負って生きていくしかなかったでしょう。

ましてや現政権(今変わりそうですが少なくとも岸田・河野・野田は良い親ガチャ。菅氏は良い親ガチャとは言いにくいので短命だったし安倍氏は良すぎるので長命だった)を見ていれば親ガチャ次第で運命は決まる、のは明確です。

 

リンゴが切なく健気に見えるのは親ガチャが失敗だったのにもかかわらず自分の力でなんとかしようと頑張っているからです。

しかしそれはもう狂気の域にまで入っているほどなのです。晶馬はそれを見て「きみほど黒い女の子はいない」とまで言ってしまいます。

 

良い親であれば例え孤児になったとしても生きていける可能性は高くなりますが例えば犯罪者の子どもであればどんな生存戦略ができるのでしょうか。

つい先日もある犯罪者として収監されている人物(その裁判には疑問点があるにもかかわらず)の子どもが自殺、という報道がありました。

同じくその兄弟である人物も苦しい人生を歩まれているようです。

「親ガチャ」など関係ない、という言葉が本当だとは思えません。

 

しかしとはいえ人間は何らかのガチャを繰り返しては生きていくしかないのです。

それに耐えられない場合もあるのです。

 

今またこのアニメ作品は公開されるべきものなのではないでしょうか。