第9話「この鮭茶漬け、鮭忘れてるニャ 」第10話「夏と修羅」いきます。
正直ここはかなり複雑に感じられててあまりよくわからないのです。
むしろ感覚を信じたほうがいいのかもしれません。
ネタバレしますのでご注意を。
第9話「この鮭茶漬け、鮭忘れてるニャ 」
「コピー」というワードがカギになっています。
現実世界でいえば「もう一人の自分」という言い方があります。
「どれが本当の自分かわからなくなった」という言い方も。
もっとも率直な人格に思われる希も心の奥に秘めた思いがあるのです。
この回での主要人物となるソウとセイジはその具現化なのです。
争いを引き出すアキ先生はふたりに決着をつけさせますが実際はそうしたもう一人の自分も自分の中に認めて共生すべきものなのではないかと思うのです。
第10話「夏と修羅」
こちらは意味していることはとてもわかりやすく感じられますがもっとも怖ろしい回でもありました。
骨折ことツバサの視点で物語が進みます。
ツバサが骨折している、というのはよく言われる比喩そのままですね。「こじらせる」という言葉を滑らせた感じでしょうか。
ツバサは人の心が読み取れる、という能力を持つため朝風が自分を馬鹿にしていてなんの好意も持っていないことがわかっているにもかかわらず彼に対する「好き」という気持ちを諦められず自分を痛め続けているのです。
そうした思いで自分を「骨折」させてしまいなかなか治癒できずさらにつまずき捻挫してしまうわけです。
ここで登場する「戦争」はそのままの意味でもあるのでしょうけど社会や学校での競争も意味しているように思えます。それは果てしなく続きます。
切り立った崖しかない殺伐とした状況に永遠に風を受け続ける人物は表情もなく心も死んでしまっています。
彼は戦争に立ち向かうために自分自身を失ってしまったのです。
戦いをやめさせた後に残ったのは拳銃でした。彼の存在は戦うことだけだったのです。
そしてここで最も悲しい事件が起きてしまいます。
朝風に戦争を止めさせた希は死んでしまうのです。
この出来事はあまりにも不思議です。
朝風が拳銃を手にした時希の足元が崩れ落ちてしまいます。
急いで自分の能力で希を救おうとしたにもかかわらず何故か能力が効かずそのまま希は崖底へ墜落してしまったのです。
さらにもう一方では長良は瑞穂の能力を確かめようとしていました。
長良と瑞穂が注文したニワトリを殺した場合、瑞穂が頼んだニワトリは生き返った。
彼女の能力は人を(猫も)死なせたくない、というものだったのでしょう。
現実世界は暴力に満ちています。
死は避けられないものではありますが暴力を少なくしていく努力はしなければいけないのではないんでしょうか。
人間は弱い生き物ですが同時に成長し変化することもできるはず、と私は信じたいのです。