ガエル記

散策

『 Sonny Boy 』夏目真悟 再鑑賞&再考察 その4

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さて続けてまいります。

こんなにリピ繰り返してもまだよくわからないという楽しいアニメはそうそうない。

やはり『ツインピークス』価値目指しているとも言えます。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

第五話「跳ぶ教室」

アキ先生のことばが皆の気持ちをあらわしています。

「こいつの能力はエスケープだ。みんな永遠にこいつの逃避に付き合わされるんだ」

そうです。

これこそ長良をはじめ引きこもりやニート的な少年への人々の評価を示しています。

そして長良は「そうじゃない」といいたいのに自分をうまく表現できずに口ごもってしまいますます皆を苛立たせてしまうのです。

仕方ない。

長良をはじめ誰だってこの時期にはいや何歳になったって自分を確実に認識し表現できる人間なんてそんなにいるはずもないのですから。

社会の規範にさして抵抗もなく乗っかれるのならあまり考えていなくても生きていけますが長良のようにスムーズに生活ができない状況に置かれている場合は混乱してしまうのです。

実際には自分は上手く生活していると思い込んでいるだけで自分の不満に気づかず生きている人間も多いのでしょうけど。

 

しかし長良の能力は実は「エスケープ」ではなく「別の世界へ跳躍できる力」であり今回ラジダニはさらに長良の能力が「別の世界へ飛ぶのではなく新しい世界を作り出す力なのだ」と表現します。

なんと素晴らしい言葉なのでしょうか。

 

この表現は夏目監督がアニメ制作についても同時に語っているように思えます。

たぶん夏目監督はいわゆる「オタク」を経て「アニメ製作者」へと渡っていった方でしょう。

「オタク」と言われている間は人々から「それはエスケープ。社会からの逃避だよ」と言われていたはずです。

しかしその能力は実は別の世界へと跳躍することであり「新しい世界を作り上げる力」だったのだと監督は感じたのではないでしょうか。

長良がどんな人間なのかはまだよくわかりませんが彼もいつか新しい世界を作り出す人間なのだと監督は彼に希望を込めたのです。

 

第6話「長いさよなら」

やまびこ先輩登場。

いわゆる引きこもり・ニート族の話だと思いながら観ているとなかなかおもしろい。

つまり引きこもり・ニート族は今に始まったわけじゃなく大昔からそういう人たちはいた、っていうことでやまびこ先輩はそのひとりだった。

実社会に戻る方法はまだわかっていない。

そしてラジダニ=他人が主人公(長良)の世界を作り変えようとしても変わらない、主人公自身が関わらなければ世界は変えられないのだ、という話がされているわけです。

映写フィルムが長良目線なのは当たり前。それぞれの(記憶の)フィルムには主人公の記憶だけが残っているのです。

私たちの脳には数えきれない記憶のフィルムが保存されているわけです。

 

さらにアキ先生の言葉が重要です。

かよわき清いネズミたちの面倒は私が見なければならない。しかしタチの悪いのは自分の力を過信し神に逆らう傲慢な輩には気をつけねばならない。奴らの企みはこの世界の終わりをまねく。

この「傲慢な輩」というのはもちろん長良やラジダニ・希・瑞穂たち反乱分子のことです。アキ先生の言葉は「今の学校制度」「社会」そのものです。

現実社会・学校としてみれば引きこもりやニートたちは反乱者ですが彼らは単に現在のシステムにマッチしていないだけなのです。

しかしいったんそのシステムに合わなければ長良のように「なぜうまくできないのか」と断罪させられてしまうのです。

怖くなりつい謝ろうとしてしまった長良を押しとどめてくれたのはよかった。彼が悪いのではないからです。

実際は長良側であるはずの朝風はうっかりアキ先生の誘惑に乗ってしまい利用されてしまいます。こうした現象もあると言えますが結局彼は後に捨てられてしまいますね。

 

希は朝風に「もう一度私たちと一緒にやろうよ」と誘いますがその時に「あの長良が自分を証明しようと世界に立ち向かっている」と言います。これも重要な言葉です。

しかし朝風は希が長良に惹かれているのを感じて逃げてしまうわけです。

 

その後にラジダニが発した「逆再生はこの世界のルールに反するみたいだ」という言葉も大切です。

そうです。いくら失敗して取り返したい、と願っても事実世界は逆再生できません。

私はタイムリープものがよほどでない限り好きになれないのはこの現実から逃れられないからです。もし過去を変えられたとしてもバランスを取るための何らかの跳ね返しがあるはず、と思うわけです。少なくとも物語ならそういった等価交換がなければ意味はない気がするのです。

 

元に戻って「神が校長」なのです。

正確に言えば校長だけではなく社会や学校を操作しているのが神、この神というのは無論「神」ではないのですが。

例えば日本ではいじめを受けたほうが別の学校へ移されたり引きこもりになったりするわけです。加虐者はそのまま居続けるという奇妙な国です。

その操作は校長及び施政者の気持ち次第です。

いじめられた子供たちは漂流してしまうことになる世界なのです。

 

第6話「長いさよなら」は重要な回です。

抵抗せずその社会・学校で生きる可能性もあるし抵抗して漂流する運命もまたあるのです。

それは「神の振ったサイコロ」で決まってしまう。神が言う「卒業おめでとう」には何の意味があるのでしょうか。

抵抗せずに生き抜いたことへの祝辞。

抵抗するのはいけないことなのでしょうか。

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