ガエル記

散策

『尚食』その5

最初は軽い美味しんぼドラマかと思っていたのですが観続けていくと意外に複雑な思い入れがあるようです。

しかもそれが何か簡単には判らない感じに入り組んでいます。

もう一度観なおさねば難しいかもしれないと今更思っているところです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

長く清朝紫禁城ドラマを観てきたので清朝のある意味日本人には風変わりに見える髪形や衣装にも馴れてきましたが本作品は同じ紫禁城でも明代で漢人の文化なので髪型衣装も日本人的に見やすいのではと思われます。

女性の髪形もですが特に男性の辮髪は中華ドラマ初心者(?)にはちょっときついもののでしょう。私はもう慣れましたがw

明代の男性の何も剃らないお団子ヘアーは日本侍の丁髷よりとっつきやすいと言えましょう。衣服もなんとなく日本の着物に似ているように思えます。というかもちろん中国から輸入され影響されてきたのが清代になると薄れてしまっただけなのでしょうね。

宦官と纏足が輸入されなくて本当に良かったと思うばかりです。

 

ということで『尚食』はビジュアル的に見やすい作品ではないでしょうか。

 

さて25話まで鑑賞しました。

中華時代劇のヒロイン物はいつも男性の心理が?で果たしてこやつは良い人物なのか?と思うことがしばしばですが本作の皇子もいまいちよくわからない男子です。

頭が良く武芸にも優れ風雅を解する人格者的な設定ですがその割にはつかみどころがなく付き人をなにかと「杖刑」に処してしまうのがよくわからない。

 

日本タイトルに無理やり「恋」を入れていますが本作は明らかに恋よりも友情と女性たちの戦いに重点が置かれていますね。

 

ところでかなり長い間中華ドラマを観てきましたが日本や他国(欧米)ドラマにはない女性の理想が頻繁に登場します。

それは単に容姿が良い・頭が良い・優しい、ということではなく詩歌や絵画に詳しく歴史や風雅を心得優しいというより義に厚い女性が描かれるということです。

これは金庸ドラマでも描かれてきた女性像でもあって男女両方が思う理想の女性像なのでしょうか。

日本ではおっちょこちょいで可愛く頭は悪いかもしれないけど思いやりがあって心優しい、というヒロイン像が好まれますが中華ドラマでそれは脇役でしかない。ヒロインは常に義理人情、というか仁義礼智の女性なのです。なので正義の心を持っていて不正には勇気をもって抵抗する、女性でなくてはなりません。しかも歴史や詩歌に詳しいというのは中華ドラマでしかなかなかない女性キャラです。

 

なのでこの世界とヒロインキャラに惚れ込むともう他では満足できない体になってしまいます。

姚子衿もまたまさにそういうヒロインです。