ガエル記

散策

『超傑作選 ナンシー関リターンズ』

実はナンシー関氏の名前は知っていたのですがご存命の時にはまったく読んでおらず亡くなってから少しずつ読んだような次第です。

 

というのは氏が書かれていた題材がTV業界のことがほとんどなのでその世界にまったく興味のなかった私には無縁のもの、と思い込んでいたのでした。

 

しかしほぼ同年代(一年違い)の生まれで世相を鋭く批判していた彼女の文章が面白くないわけがなく20~30年の時を経て読んでみるとTV&世間知らずの私でも「そうであったな」と思ってしまうわけです。

 

中でもいくつか特に「そうだったのか」と唸るものありその一つが

松田聖子の両手握手」

でした。

 

「両手握手」で検索してもさすがに

松田聖子が始めた」

という文言は出てきませんがナンシー関氏によるとこの作法というのは松田聖子が世間に広めたのではないかということになります。

といっても氏の説明で「松田聖子郷ひろみに両手握手をしてもらって感激し自分もそうすることにした」らしいのでそうなると「郷ひろみが両手握手の元祖」になるのかもしれませんがナンシー氏の意見としては郷ひろみではなくやはり「松田聖子が元祖」なのでしょう。

というのはこの両手握手は「アイドルのファンへのおもねり」を意味していると言えそうなのです。

ナンシー氏はその後

「一般女性が両手握手する姿」を見て「お前はアイドル気取りか」という憤慨することになります。

そしてその傾向は留まることを知らず広がっていき今では誰が元祖だったかも知られてはないようで一般的常識とすらなってしまった感があります。

私は体験ないのですがコンビニなどで(特に女性の)授業員さんが両手でおつりを返す仕草が話題になったりしますがこれはその両手握手の変形ではないでしょうか。

つまりそもそも握手というのは片手で行うのが当たり前だったのですがもともと日本になかった「握手という礼儀」が日本人的にはどうしても馴染めず特に片手をずいと出して相手の手を握るという行為が日本人的には逆に「無礼」に思えてしまっているのではないか。さらに日本女性にとってはなかなか勇気のいる「無礼」であってそれを誤魔化すには両手で包み込むことでへりくだり相手に敬意を示してやっとほっとするように思えます。

 

この「へりくだり」という意識を日本人は高い美意識と認識しているのですが果たして世界的にどう受け止められているのか。

などと書くとすぐに「日本人は日本人の美意識があるのだからそれで構わない」と言われてしまうのですが私はどうしてもこの「へりくだり」がマイナスの作用をしている気がしてならないのです。

気持ち悪くも思えます。

 

「両手握手」

ナンシー関氏の言う通りに「郷ひろみに感化された松田聖子が元祖」であるのかどうかはわかりませんが少なくともその行為が日本人に受け入れがたいものだったなら広まることはなかったでしょう。

これは「ヘリくだり精神」にとって非常に見合った行為だったからこそこんなにもアタリマエの作法になったのだと言えます。

 

例えば選挙活動の際などには候補者が年配男性であっても有権者に両手握手で迫ってきます。これはもうはっきりとした「おもねり」を感じさせるものです。

 

この両手握手はほぼ日本だけで流通しているとか。

国際的作法としてはいただけないものだと書いている方もいます。

 

日本では西洋化が簡単に行われるものとなかなか根付かなかったものがあってその一つが「握手」だったのではないかと考えます。

それが「両手握手」となって根付いていった、とすればそこに日本人気質があるのではないでしょうか。

「両手握手は気持ち悪い」と思う人たちと「むしろ良い礼儀ではないか」と感じる人たち。

どちらが正しいのか。

それはまた歴史の経過でしかわからないのかもしれません。