田辺聖子さんが数えで18歳の年日本は終戦を迎えました。この本ではその昭和20年4月から22年3月までの日記が掲載されています。
18歳の田辺聖子さんの文章は誰にも見せないつもりで書かれたであろう日記にもかかわらず巧みな筆致ですばらしい。
「大阪大空襲」の章など職業の作家でもここまで細やかに感じられる文章を書ける人はそうそういないのではないでしょうか。そのまま映画の一場面として見えるようです。
反面、田辺さんの仕事ではない装丁には疑問があります。
上の帯にも見える
はこの本の紹介としてはあまりにも不適合です。
アンネはユダヤ人でありナチス政権下において身を隠さねば生きておられない存在で幼い少女でありながら日記を綴った状況をこの本の闊達な田辺聖子さんと重ねるのは非人道にも思えます。
若かりし田辺聖子さんは純粋な大日本軍国少女として日記でナチスドイツを称え声援を送っているのです。
戦時中の少女の日記、という部分で重ねているというにはベクトルが逆方向すぎて悪趣味とすら感じます。言い過ぎですか?
日記の後、捕らえられて収容所で死を迎える少女と敗戦を乗り越えて生きる少女の日記を「~版」という括りにするのが恐ろしいのです。
この帯の言葉は削除してほしいと願います。
さて本題に戻ります。
ネタバレしますのでご注意を。
先に書いたようにこの本を読んで衝撃を受けてしまうのはやはり少女の田辺聖子さんが強固な軍国主義であるということでしょう。
聖子さんは大人たちが戦争反対を書いたビラを見て動揺する様に落胆し自分の揺るがぬ忠国心を記しています。
多くの人がそうではないかと思うのですが私は田辺聖子さんがおっとりとしたユーモアにあふれた作家であるというイメージだけを持っていたので前評判は読んでいたものの実際に聖子さんの文を読んで改めて軍国主義の中で学ぶ子どもたちがどうなっていくかを知らされました。
すぐに重ねたのは『進撃の巨人』に登場するガビです。
おもしろいことに(というのはなんですが)田辺聖子さんは日記で
「私なら手りゅう弾を持って敵の陣地に駆け込み爆破する意気込みはある。足が悪くても他の人には負けたりしない」
という意味のことを書かれていてまさにガビの話がこうした描写から始まっていたのを思い出しました。(ガビは普通以上に体力があるのですが)
まったくの偶然なのか、軍国主義を表現するには「手りゅう弾を持って敵地へ駆け込む」のが最良なのか、諌山氏が田辺氏のこの日記を以前に知る機会はなかったと思うのですが。
後年、聖子さんは大のスヌーピー好きで知られます。
「スヌー」と呼ぶ大きなぬいぐるみのそばで嬉しそうな聖子さんの写真を見たものです。
スヌーピーはもちろん(敵国)アメリカの犬、です。しかも戦闘機のパイロットです。
聖子さんはそんな風に変わってしまうのです。
(まあ、右翼はアメリカが好きなのが通常ですけどね)
そしてこの本を読んで私は初めて田辺聖子さんの足があまり良くない、ことを知りました。学校へも工場へも一人で行き、大阪大空襲後に長い道のりを歩いて自宅へ帰られたと記されていますが生まれつき股関節に問題があってそのために聖子さんはこの日記でもなんどか「足が悪い」という記述をされています。
ここで思い出したのは『ジョゼと虎と魚たち』でした。
あの短い小説はほんとうに素晴らしい文章でした。
私は何も知らなかったので
「田辺聖子さんはきっと遠出をされない方に違いない。それで車椅子のジョゼに自分を投影して切ない恋愛物語を描かれたのだろう」
と比喩的なものを想像していました。
むしろあの小説は聖子さんそのものだったのですね。
あまりにも車椅子の女性の心に入り込むような描写が心に響く小説で美しさに打ちのめされるようだったのですが、この本を読んでやっと少しわかったような気がします。