ガエル記

散策

『トニー滝谷』市川準

f:id:gaerial:20220219053052j:plain

私は年齢的にリアルに村上春樹の処女小説から読むことができた、という他にはないほどの体験を持ちながら同時に共感しないまま現在に至っています。

彼の小説の良さ、というか何を描いているのかがまったく呑み込めないままできたのですがこの映画を観て初めて村上作品がなんなのか少し理解できた気がしました。

とはいえそれが本当に村上春樹なのかといえばそうではないのでしょうけど市川準監督による村上春樹論はとてもわかりやすかった、ということになるのでしょうか。

 

とても美しい映像でした。市川監督は「風を感じる映画にしよう」と言って作られたそうですがまさしくいつも冷たい空気を感じさせる清廉な作品でした。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

では出会いから40数年後にして村上作品が好きになれたかというとそれはそうではありません。

たぶん私にとって村上春樹は他の人の目を通して初めて理解し価値のある存在になるようです。

村上春樹氏は自分の過去作品の要素は「デタッチメント」と自己評価されています。本作はまさにその感覚がぴったりとあてはまっているのでしょう。

主人公のトニー滝谷の名前は本名です。おおかたの日本人の感覚ではこうした名前は「奇妙だ」「変わっている」と分離されます。風変わりな父親によって大多数に馴染まない命名をされた主人公はその名のとおりに孤立した人生を受け入れて歩み続けます。

彼の描く絵は血が通っていない冷たい作品と評されますがその特徴にした機械的な絵を商品とすることで職を得るのです。彼は結婚など考えることもなく友達も乏しいようです。

 

しかしそんな冷血な彼が15歳も年下の美しくしかも完璧な家事ができる女性と結婚し安らぎを感じた時、それが失われてしまうのではないかという不安にさいなまれます。

一方で妻となった女性が高額なブランド衣服を際限なく買い続けずにいられないという病癖ともいえる行為をやんわりと諫めてしまうのです。

妻はこの彼の咎めを正論と受け止め反省し購入したばかりの衣服を返却するまでに至ります。

そしてその結果、帰り道で事故にあって死亡するのです。

 

さてこの経緯をどう見ていくのか。

私が何の情報もなくこの映画を観ていたら率直に気持ち悪さを覚えたに違いありません。

しかしすでに様々な情報を得てしまった以上ない状態を考えるのは難しい。

 

ともかくトニーは誰ともかかわりを持たずに生きてきました。

母親の愛情もなく父親は風変わりです。身の回りの世話をしてくれていたお手伝いさん的な女性ともまったく深く触れ合うこともなく淡々と接してきた彼は「愛情」というものを学ぶ機会がなかったのです。

そうしてそのまま中年になった彼は奇跡と思えるほどの女性を妻としその代償としては高額な衣装を買うだけだった。彼のような男が支払う代償としては軽すぎるのではないでしょうか。

そしてその妻が死亡した。

 

・・・これは奇跡なのではないでしょうか。

 

本作の主人公トニー滝谷は思う通り願う通りに生きています。

親の愛の無い、慈しみの乏しい生活は彼にとって苦ではなかった。彼には絵を描くという才能があり彼はそのままその才能を生かした。恋愛や友情の乏しい青春はまったく苦ではなかった。

そしてやがて妻として迎える価値のある女性と巡り合い結婚できたのです。

 

しかしその妻は浪費癖があった。トニーはやめてくれと諭した。やんわりと。

とはいえ確かに妻の行動を制止し妻もそれを実行したのです。

が、その心中では衣服の返却を後悔し迷っていました。

ここで彼女は事故死するのです。

 

これはトニーの願望ではなかったのでしょうか。

 

その後妻の元カレと言う男が登場しますが無礼なことを言う嫌な男です。

トニーにとって都合よく「妻の元カレは嫌な男だった」のです。

彼女を本当に愛してあげられたのは自分だけだったという自負心。

 

そしてトニーは妻の代わりとなる女性をお手伝いさんとして募集します。

一部屋を埋める妻の衣服を着こなせる同じ体形の女性を求めるのです。

応募してきた若い女性は誂えたようにぴったりでした。

 

(ここで『グレートギャッツビー』の名場面が演じられます。「こんなにたくさんの美しい衣装みたことない」と言って泣く女性。ちょっと恥ずかしかった)

 

しかしトニーは突然彼女にお手伝いさんの募集を取りやめたことを連絡するのでした。

その後で彼は再び彼女に電話をするのですが彼女がそれを受けそこなったところで映画は終わります。

 

いったい、その後はどうなったのでしょうか。

再度トニーが彼女に連絡をとった、とも考えられます。

なぜなのか。

もちろん妻の身代わりをやってもらうためです。

 

妻にも新しい彼女にも名前がありません。

トニーにとっては個別の名前などどうでもいいのです。

彼は愛情を知らずに育ち生活してきましたが偶然、もしかしたらなるべくして「良い女性」を手に入れました。

かなり理想に近い、がやや難点がありました。それはトニーにとっては欠陥品であり彼には我慢ならないものだったのです。

ところが運命はいとも簡単に彼が手にした欠陥品を壊してくれました。

これは奇跡です。

彼はそれまでレコードを集めていたのですがそれを処分してしまいます。この新しい収集はレコードの比ではないのです。

 

生きた女性。理想の女性を求めることです。

 

次の女性もあっさりやってきました。

もしかしたら彼女には縁がないかもしれませんが、トニーにはもう孤独ではありません。

元妻の残した衣装はまだたくさんあります。

この衣装が着られる美しく若い女性であるのが条件です。

 

村上春樹を好む人が多いのはやはりこういうことなのかもしれません。

それにしても美しい映画です。

 

身代わりはたくさんいるのですよ。

そういうものだ。