テレビ放送があってからかなり経つのにやっと観る気持ちを奮い起こしました。こう思った人は結構多いようでレビューには「重く辛い内容かと懸念していたのに実際は違っていた」と書かれているのが散見されます。
この映画は主演のフランシス・マクドーマンド自身がプロデュースしています。フランシスは40代の頃自由な車上生活に憧れていたそうです。
しかし 『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』というノンフィクションを読みその生活がどんな苦しみからもたらされているかを知り映画製作に臨んだという経緯が書かれていました。
とはいえこの映画はそうした辛苦を訴えただけのものではないと私は思いました。その感動はやはり観てみないと解らない、感じられないものなのです。
ネタバレしますのでご注意を。
鑑賞後、上に書いたようなことを検索したのですが単純に観た感想は「なんと美しい映画だろう」というものでした。
多くの鑑賞者がそう感じ評価されたのではないでしょうか。
しかしその美しさの中で生きるためには不安という代価を支払わなくてならないのです。特に女性が自由な暮らしを望むのはとても難しい。
例えば本作のヒロインは60代であるため若い女性が恐れなければならない性暴力を受ける心配のみはやや少ないかもしれません。
だからといって弱い存在と侮られる不安からは逃れられません。
本作で驚くのは車上生活者のほとんどが白人だということです。(この中では黒人はひとりだけだったようです)
その理由は黒人がこのような生活をしていたらすぐに逮捕され或いは殺されてしまうからということでした。
過酷な「漂流する高齢労働者」は白人だけの特権だというわけです。それもまた現実なのです。
そしてこの映画は数多くある「ロードムービー」の系譜にあります。
私は自分自身がどこにも行けないからなのかロードムービーが大好きです。
名作『道』をはじめ『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』そして女性ロードムービー『テルマ&ルイーズ』
『マイプライベートアイダホ』『ストレト・ストーリー』『天国の口、終わりの楽園』『モーターサイクルダイアリーズ』『プリシラ』
そして『ブエノスアイレス』もそうでした。
そこで描かれる人々は社会からのはみ出し者という刻印を押され彷徨うしかなくなった人々です。
なのにもかかわらず私たちは何故かそこに真実の美しさを見出してしまう。願ってしまう、ともいえるのかもしれません。
もちろんそれは大きな犠牲が伴うのですが。
先日観た『ポーラー・エクスプレス』の屋根の上にいたホーボーもまた少年の憧れでもあったはずです。
自由に生きる人々への憧れと怖れは表裏です。
作中であまりにも美しい光景を見た女性が「このまま死んでもいい」と思うエピソードがあります。その光景を見るチケットを手に入れるのは難しいのです。