劉備玄徳、扉絵3・5回目。なんかめちゃハンサムです。
主人公の風格がありますな。
次の絵
ネタバレしますのでご注意を。
いやそう見せていただけで腹の中はふたりとも違うんですけどね。
ふたりとも互いを最大のライバルと思っていたのですな。
でこれです。
ふたりは皇帝に謁見しこの度の戦の労いの言葉を賜った。
帝は劉備の先祖を訊ねられ劉備は母から聞いていた出生を申し上げる。
中山靖王の後胤と聞いて帝の一族ではないかと急ぎ系譜を調べさせたもう。
系譜にはその旨が記されており帝は劉備の側へ寄って「玄徳よ陳の力になってくれ」と語られ劉備は「ありがたきお言葉」と受けたのであった。
その後曹操の部下は皇帝がなにかと劉備の名を出すことに疑惑を持つ。このままでは劉備に大きな力がついてしまうのではないかと。
やはり曹操が劉備をどう思っているかの言質は取っておかねばなりますまい。
わるい顔いい。
そこで曹操は皇帝を誘って狩猟を行い誰が味方で敵かを試すのが目的だという。
狩場にて曹操はわざと帝の弓矢を取り上げ鹿を射止めた。
鹿には帝の御矢が刺さっている。歓声を上げる衆を曹操は止めた。
「その鹿を射たのは余じゃ」
劉備はこれは臣下の取るべき態度ではない、と即座に思い関羽は曹操の振る舞いにかっとなり刀の柄に手をかけた。
「どうじゃな余の腕は」と問いかける曹操に劉備は落ち着いて「お見事でした」と答えた。
その様子を関羽は鋭い眼差しで見つめるのだった。
関羽は「殿の心を疑うほどです」と答える。
劉備は「もしお前が曹操を斬っていたら家来によって我々も討ち取られていた。そうなると再び大乱が起こり第二第三の曹操が現れる」
これに関羽は「考えが足りませなんだ」と頭をたれた。
しかし関羽はそう言いながらも曹操を今刺さねば天下の乱れはより大きくなるだろう、と予感するのだった。
関羽は真に忠義の人なのだ。いつもあれほど強い信頼を寄せる劉備にさえ疑問を持ってしまうのだから。
しかしこれ別角度から見ると関羽って劉備が自分の思う英雄の行動をしないとすぐイライラしちゃうといえる。
以前劉備が芙蓉姫に恋した時も張飛以上に「今はそんなことをしてる場合ではない」と泣きそうだったw今は劉備が曹操になびいてしまうのか?と心配してるよね。
皇帝は曹操の操り人形にすぎない自分を恥じていた。
漢室四百年の歴史の偉大な先祖に対し何もできない我が身を悔やむ皇帝は密かに忠義の士を集めたいという密勅を玉帯に仕込み董承に託したのだった。
曹操はすぐさまこれを見咎めた。が、さすがに帝から賜った玉帯を臣から取り上げることはできずあきらめるしかなかった。
やはりこのへん曹操は「世間の声」が気になるのでしょう。取り上げるくらい簡単にできるがその後「曹操は老人が帝から与えられたベルトまで取り上げた」と言われたらさすがに恥ずかしい。
という世間体が気になるのが曹操なんでしょう。
その場でやばい詔が見つけられれば別ですが。だからこそ帝は念入りに帯に仕込んだのでしょう。
なのでなかなか見つけにくい詔ではあったのですが董承はなんとかこれを見つけ帝がいかに心を痛められていたかを知る。
かくして董承は血判状の士を密かに集め始めた。
そしてついに劉備に声がかけられたのだった。劉備はすぐに血判状の七番目に名前を記し血判を押した。
「うらやましい」ってw
関羽の「うれしゅうございます」の言葉、よかったね。関羽ほんとうにうれしかったのだろうなあ。殿はやっぱり殿だったのだ、とw
なのに
劉備は何故か突然百姓仕事に精を出して毎日畑を耕し始めたのです。
劉備はふたりにも勧めるのですが
ふたりは野良仕事はいやなようです。
ハンサム~
でこの後が名場面よ。
劉備は突然曹操から呼び出され「もしや血判状がばれたのか」と危ぶむ。関羽・張飛も後で知って追いかけた。
曹操は竜に英雄の姿を見るという。
そして曹操は劉備に英雄と見なしていい人物を問う。劉備は幾人か名前を挙げるがその度曹操はそれを否定する。
そして
この言葉に劉備は驚く。
劉備が百姓仕事をしていたのも曹操に自分を見くびらせ安心させるためだった。
タイミングよく雷が轟いた。劉備は慌ててテーブルの下に潜りこみ震える。
ばかばか、見たかったのに。
そこで劉備はかつて恩を受けた公孫瓚が袁紹に攻められ自害して果てた経緯を知る。
袁紹の進撃を阻むため弟袁術を討って勢力を弱め仇討ちも遂げたいと言ったのだ。
曹操は雷におびえた劉備を見て軽んじる心ができてしまったのを部下に咎められる。
劉備は大きな企みを胸に秘めて徐州へと向かったのだ。
袁術は一時皇帝を名乗るほどだったがあまりの悪政に人民は痛めつけられ国は荒れ果てた。
袁術は玉璽を含め金銀財宝を寄せて大行列を作り河北へと向かった。
これを劉備軍が攻撃したがこれに乗じて山賊までもが財宝と女を奪いに行列に襲い掛かった。
袁術は這う這うの体で逃げ出したが夜は山賊に昼間は劉備軍に襲われいつしか散り散りばらばらとなり財宝は奪い尽くされた。
最も暑い六月の時期、袁術はただ一人甥っこと共に彷徨った。飢え渇き農家に助けを求めたが袁術だと知った農民は眼前で壺の水を全部流した。
そこまで憎まれていたのかと打ちのめされて袁術は血を吐いて死んだ。
わかっていそうなものなのにやはりわかってはいないのですね。
むしろ名前を言わなければと思いますが、帝と言えば敬われると思い込んでいるのだから仕方ない。