ネタバレしますのでご注意を。
とにかく伊達政宗をまったく知らなかったのでこんなに面白い人だと思わなかった。
それは幼少期の教師である虎哉禅師による教育の賜物なのだ。虎哉禅師は幼い政宗をみて「素直すぎ繊細過ぎる」と感じる。「武将の条件は豪快さと慈悲を併せ持ち細心でありながら清濁併せ呑む度量を持つこと」として「強情我慢とへその曲げ方」を教えていくのだ。
果たして政宗は虎哉禅師が望んだ以上にへそ曲がりの強情に成長していく。
すでに大物になっていた秀吉や家康を相手にしても怯まない武将となる。
まずは父親の輝宗の度肝を抜いていく。
戦談義において算盤をはじく基信を父・輝宗は叱るが政宗は「算盤の名手だからこそ重用されているのではござりませぬか」と諫め「敵が算盤を無視して出てくればこちらの勝ちです」と言ってのける。
輝宗は「算盤で人命をかけた戦を弾く、わしには理解できぬ」とあえて言わせているがまさにこれこそが戦争において必要なはずなのだ。
こうした算盤が苦手な者は敗北するしかない。
ここで政宗は「十年以内に奥羽の地をいただく算盤でございます」と父に言うのである。
「今わしは今日一日をどう生きるかにあがいてきたというのに」と息子の計算に唖然とするのだった。
また勝ち戦であっても深追いをしない。農民たちが「今年こそは」と田植えを終え稲を育てているのだからここで戦を打ち切ってしまうのだ。
「勝っておごらず」仁政を考える政宗を頼もしく思う父。
一年中働きづめるより半年戦って半年遊ぶ方が戦の効率があがる、そんな政宗の主義を見て輝宗は40歳を過ぎたばかりでまだ18歳の政宗に家督を譲る。
横山・伊達政宗、とても男前である。
がこの後、政宗は父が自死させられたことで自制がきかなくなり大きく躓くこととなる。が、父の死で怒り狂ってしまうことに人間性が感じられるのではないか。
そして虎哉禅師の杖で政宗は強かに打ち据えられる。「この人殺しめ」と。「父の仇である義継の首を洗い清めて送り返したなら国王丸は父の奸計を恥じお前に随身したはずだ」
杖に打たれながら政宗は自分が間違っていたと恥じ入るのだった。