ガエル記

散策

『史記』第六巻 横山光輝

第一話「嚢中の錐」

第二話「老いの野望」

第三話「主を震わす者」

第四話「奇貨 居くべし」

呂布韋の物語です。

趙の都・邯鄲で呂布韋はひとりの若者に目を止めた。

来ている衣服は貧しいが身分のあるお方に見えるのだ。

側の者は「あのお方は秦の人質の子楚さまですよ」と言う。秦の太子・安国君さまのお子で人質として送られてきたのですが、秦と趙の仲が険悪になってからは粗末に扱われいまでは食事にも事欠くありさまとか、と説明した。

これを聞いた呂布韋はこれは奇貨(将来跳ね上がる商品)かもしれぬ、と思ったのだ。

呂布韋は父親にも相談し子楚に全財産をつぎこんで賭けてみることにした。

(すごい度胸。凄い商売人だ)

呂布韋商人として一世一代の大勝負だった。(いや父もじゃ)

 

子楚は突然見ず知らずの男に「商人の呂布韋です」と名乗られ「高価なものを買うゆとりなどないぞ」と答える。

呂布韋が「高価なものを買っていただくためお金を持って参りました」と答えたので子楚は驚いた。

「ここに五百金ございます。これで高価な衣服を身に着け趙にいる賓客と交遊を広めてくださいませ」

子楚はますます意味が解らず「商人ならばその金を使って大きな商売ができように」

呂布韋は「あなた様を世に出すことが私の商売なのです」と答えた。

 

呂布韋はここで子楚に自分の計画を話す。

子楚には二十数人の兄弟がいるがまだ跡継ぎは決まっていない。これを決められるのは安国君の寵愛を受けている華陽夫人ただひとり。が、華陽夫人には子がいない。

よって子楚が華陽夫人の養子になれば夫人は必ず子楚を太子に勧めることになる。

これを聞いた子楚は「もし私が秦の王になればその恩には報いるぞ」と答えた。

「はい、私は商人ゆえその投資資金は回収させてくださいませ」

こうして子楚は呂布韋の金で賓客と交流を深め、呂布韋もまた子楚の宣伝をすることとなった。子楚の良い噂を広めたのだ。

その後呂布韋は高価な品物を買い秦へと向かった。

呂布韋はまず華陽夫人の姉に接近し贈り物をして華陽夫人に取次ぎを願った。

そして華陽夫人に会えるとさらに豪華な贈り物を渡した。

そして趙にいる子楚の話をした。「子楚様は今は趙の人質ですが聡明な方で賓客との付き合いも多く評判の良いお方です。その子楚様があなたさまを心の底から敬慕なさっておられます」

これを聞いた華陽夫人は「嬉しいこと」と喜んだ。

 

再び呂不韋は華陽夫人の姉に会って感謝を告げた後「しかし華陽夫人には残念なことがあります」と話し出す。「あれほど安国君様の寵愛を受けながらお子様がいないことです」

これに夫人の姉が同意すると呂不韋は「安国君さまはお子様が多いのですからその中から誰か聡明なお子を養子にもらい世継ぎとなされるべきです」

はっとなる夫人の姉に「そうすれば姉上様も華陽夫人も勢力を失わずにすみましょう。華陽夫人は今は若く美しいが色香というものはいつか衰えご寵愛を失う恐れもあるもの。今のうちに万全の手をうっておくべきです」

夫人の姉は「確かに。でも誰を養子にもらえばよいのか・・・」

これに呂不韋は「趙の国に人質になっておられる子楚様を養子になされたらあなた様たちを大切になされるのでは」と勧めた。「人質では不安なのでは」という夫人の姉に呂不韋は「危険の時は私が必ず守ってみせます」と答えた。

 

華陽夫人の姉は妹にこの話を持ち掛け華陽夫人は夫である安国君に「子楚さまは立派なお子様と聞きました。私の養子にしていただけませんか」と願い出た。

安国君もその噂を聞いていて華陽夫人の願いを承諾した。そして世継ぎとすると言ったのだ。華陽夫人は「でも御兄弟が多いので証拠の品をくださりませ」とさらに頼む。

安国君は愛する華陽夫人の頼みに折れて割符を渡した。そして「その呂不韋とやらを子楚の後見人といたせ」となった。

 

なんととんとん拍子に呂不韋の計画は進んだ。

華陽夫人は割符を「子楚に渡しておくれ」と呂布韋に後見人として頼んだ。

 

ところがここで困ったことが一つ起きる。

子楚は割符を受け取り呂不韋に感謝したが食事の席で舞っている女を「私にくれぬか」とねだったのだ。

実はこの女は呂布韋の囲い者であった。しかも二日前に身ごもったと言われたばかりなのだ。しかしここで断ってこの話が壊れては元も子もない。

一人暮らしで妻が欲しくなったという子楚に献上することにした。

 

こうして遊女は呂布韋の子をみごもったまま子楚の妻となったのだ。

そして子供を産んだ。この子が政(始皇帝)となる。

だがこの遊女はもともと好色であったため後に「嫪毐の乱」を引き起こすのである。

 

ともあれ子楚計画は進んだがここでまたも事件が起きる。

秦と趙の戦争が始まり、趙がついに子楚を殺すことを決定したのだ。人質の運命だった。

諦めようとする子楚を呂不韋は励まし彼の妻子を匿ったうえで城門の警備兵を買収し秦へと逃亡することを決意させた。

 

紀元前251年秦の昭王が死去。これで太子・安国君が秦王となった。華陽夫人は王妃となり子楚が太子となったのだ。

この様子に驚いたのが趙だ。

人質だった太子・子楚を粗末に扱ったのだから。

不幸中の幸い、子楚の妻子は見つけ出したものの殺さなかった。趙は慌てて太子の妻子を丁重に送り返すこととした。

これ以上恨みを買うわけにはいかない。

政(後の始皇帝)はこの時十歳だったが用心深く人を信用しない子供に育っていた。

子楚は妻子と再会できた。

 

それからしばらくして安国君が死去。即位して一年目だった。

こうして子楚が秦王となったのだ。

呂不韋の囲い者であった遊女は今や強国・秦の王妃となったのだ。

そして政が太子となった。

 

秦王は呂布韋の功績を讃え感謝した。

黄河南部の土地十万戸を与えられ秦の丞相に任命された。

 

呂不韋はこれで投資資金を充分に取り戻し権力の座まで手に入れた。

呂不韋にとって子楚はまさに「奇貨」であった。

 

いやあすごい物語です。まだこの続きがあるのは知っていますが作品はとりあえずここで終わり。たぶん続きがあるでしょう。

こんな大商売を成功させた呂不韋、感動です。

しかも自分の子どもがあわわ、それはちょっととんでもないハプニングでした。