二巻は伍子胥巻です。この伍子胥だけではなく『史記』はまったく知らなかった私ですが最近になって知った「鳥人間」さんのYouTubeでこちらを見まして(聞きまして)特に伍子胥は読みたいと思っておりました。
鳥人間さんありがとうございます。
ネタバレしますのでご注意を。
時は春秋時代。紀元前500年前後のことである。楚の二十七代平王は横暴な王と言われていた。
伍子胥。名は員。字は子胥と言った。伍一族は楚の名家であった。
伍子胥の父は太子建の太傅(侍従長)を務めていた。副侍従長は費無忌という人物だった。彼は平王に気に入られ側近になりたいという野望を持っていた。
この費無忌が太子建の嫁を秦から迎えに向かったところから事件が始まる。
費無忌は秦の姫を見てそのあまりの美しさに太子ではなく平王に勧めてしまうのだ。平王は姫を一目見てこれに賛同し太子には別の女性を娶らせた。
費無忌はそれ以来太子付きから平王の側近となり権力を握ったのである。
ただ一つ気になるのは平王が死んで太子が即位したら自分がどうなるかということであった。そこで費無忌は太子を世継ぎにさせぬため平王に対しさかんに太子を中傷して僻地に追いやったがそれでも安心できない。次は太子を殺さんとして太子が謀叛心を持っていると平王に訴え将軍を向かわせた。(将軍は太子が無実だと思い宋に亡命させたがその後殺されてしまった)
平王は太子の教育係である伍子胥の父・伍奢を捕えたが費無忌はその息子たちも殺した方が良いと進言し伍奢に息子たちを呼び寄せるよう命じた。
伍奢は長男は思いやり深く必ず飛んでくるでしょうが弟の子胥は気性も激しく殺されるとわかれば出てはこないでしょう、と答える。
果たして、使者からもたらされた王の言葉に伍子胥兄弟はその目的を見破る。兄はそれを知っても父と共に死にたいというが弟の伍子胥は国外に亡命して仇を討ちたいという。
これを聞いた兄は「よし、私は都へ行って死を甘んじて受けるがお前の力で父上とわしの恨みをはらしてくれ」と弟に告げた。「だが仇の相手は国王だ。死ぬよりも辛い道かもしれないぞ」と兄は語った。
言葉通り兄は使者に従ったが弟・伍子胥は使者たちに矢を放って逆らい遁走した。
伍子胥は南方の呉を目指した。呉は国力拡大政策をとっていて人材を求めていたからである。
こうして伍子胥の復讐の物語が始まる。
そして兄が言った通り伍子胥の逃亡と復讐は苦難に満ちたものになる。
さらにその復讐はついに遂げられないのである。
伍子胥は苦難の末、呉との国境である長江に着く。ここで一人の漁師に向こう岸まで船で渡らせてもらう。お礼にと伍子胥はただ一つの持ち物である剣を渡そうとするが漁師は「伍子胥という人物を捕えたら恩賞として大金と爵位をもらえるというお触れが出回っているのですよ。金が欲しいのならとっくにそうしています」と言い「気をつけなされ」と去っていったのだ。
この話は伍子胥物語のなかで一番良い話なのではなかろうか。
伍子胥はなおも苦しい旅を続けた。物乞いをして食べ物をもらい草の根をかじって歩き続けた。楚の平王に対する怒りが伍子胥を支えた。
呉の都へ着くと伍子胥は公子光の口利きで呉王に拝謁した。
伍子胥が優れた人物であるということは呉にも知られていたのだ。伍子胥はここで父と兄が処刑されたことを知る。
呉王は伍子胥を召し抱えてくれた。伍子胥は楚に兵を進めるならば私を使ってくださいと申し出た。
が呉王は「我が国はまだ楚と戦える力がない。それだけの国力を持てた時力を貸してもらおう」と答えた。
伍子胥はこうして呉に受け入れられたがすぐさま楚の平王を討つ、という事態にはなりようもなかった。
七年の時が流れた。
この間に伍子胥は世話になった公子光に百姓をして暮らしたいと願い出る。代わりに呉で友人となった専諸を推薦していた。
ある日公子光の家臣から楚の平王が亡くなったという知らせを受ける。伍子胥は怒り狂った。伍子胥はその平王を殺し父と兄の仇を討つためだけにここまで生き延びてきたのだ。その生甲斐が奪われてしまったのだ。
伍子胥は岩に頭をぶつけ父と兄に謝罪した。この様子に家臣は恐れおののいた。
ここから伍子胥は祖国である楚国こそが復讐の相手となっていく。
伍子胥が仕えた公子光がクーデターによって呉王となり兵法家の孫子(孫武)と伍子胥によってその力は増大していった。
呉軍は次々と軍功を収めていく。そしてついに楚の主都へ入ることとなった。
伍子胥は感無量であった。父と兄を殺されて十六年目である。
が主都は落としても楚王の行方がわからなかった。伍子胥の目的はいまだ果たせない。
そんな時、呉に越が侵入したという報告が入る。ここから呉越の抗争が始まるのだ。
呉王は兵の半分を呉に戻した。
伍子胥は焦った。半分の兵で楚全土を平定するのは難しい。
伍子胥の軍は亡き平王の陵墓の前に差し掛かった。
伍子胥は兵たちに命じて平王の棺を引きずりださせた。
兵たちは怪訝に思いながらも平王の棺を外へ持ち出し伍子胥の前に運んだ。
伍子胥はさらに棺を開けさせた。中には平王の骨が横たわっている。
「よし、この屍を三百回鞭打て」と伍子胥は命じた。怯む兵士に声を荒げる伍子胥。
兵士は平王の屍に鞭を振るった。
それを見守る伍子胥の姿は鬼気迫るものがあった。
兵士は入れ替わりながら平王の屍を鞭打ち続けた。
これが「屍に鞭打つ」の語源である。
このことを知った伍子胥の楚での友人・申包胥が手紙を送ってきた。「いかに復讐とはいえ酷すぎるではないか。元君主の屍を辱めるとは」
これに伍子胥は返事を書く。「吾、日暮れて道遠し。ゆえに焦って非常識なる振る舞いをしたのだ」と。
この言葉も有名ですね。
伍子胥名文家なのか。
さて我がブログも道遠し、です。
できるだけ簡略に書こうとしたのですがなかなか難しい。伍子胥の復讐劇、簡単にはいかなかった。