ガエル記

散策

『史記』第二巻 横山光輝 「臥薪嘗胆」

なんかすごく不思議な絵である。

「臥薪嘗胆」の意味が解らない人はこの絵の意味をどう思うのだろうか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

楚の平王が亡くなり父と兄の仇を討つことができなくなってしまった伍子胥は平王の屍を墓から引きずり出して鞭打つ。

次は楚を討つという志を持つが今度は味方となってくれた呉王が亡くなったことでまたもや伍子胥の望みはかなわないままで終わるのではないかと予感してしまう。

呉王の跡継ぎを推薦した伍子胥だが時が経つにつれ新しい呉王は伍子胥の諫言を次第にうるさく思い始めついに剣を渡して自害を求める。

伍子胥は使者が持ってきた剣を見て怒る。「呉がここまでになれたのも私がいたからだ。それをつまらぬ奸臣の言葉で殺そうとする」そして息子たちに言った「私の墓には梓を植えよ。呉王の棺の木材にするためだ。そして私の目は都の東門にかけておけ。越が呉を攻め滅ぼすのを見るためだ」

最期まで伍子胥の精神は苛烈であった。

新・呉王は伍子胥の最期の言葉に怒りその死体を革袋に入れて長江に捨てさせた。

 

こうして呉の国から伍子胥は抹殺されてしまう。

思えば楚でも重臣の父を持ち呉では自身が重臣であったのにこのような結末になってしまうとは。伍子胥のような激しい正しさを持つ人は生きていくのが難しいのだろう。

 

この後、小国と軽んじられていた越の国が力を蓄えながら耽々と呉の隙を狙っていた。

新呉王・夫差は覇者になろうと列国会議・会盟に出席するため国を空けた時に越に攻められ太子を殺され主都は無残に破壊されてしまう。

 

かつて伍子胥は越は内臓の病のようなもので絶対に滅ぼしておかねばならないと口うるさく言いつのっていたものだった。しかし夫差は佞臣の口車に乗ってこの伍子胥の進言を撥ねつけついには自害へと追い込んだのだ。

 

とはいえまだ力のあった夫差は覇者への夢を捨てきれず疲弊した国に鞭打って他国に出兵し続けた。

この様子を見た越は今度こそはととどめを刺しに来た。以前呉王に跪いた越王が主都を陥落したのだ。

呉王・夫差は逃げ延び和議を申し入れるしかない、と決意した。

使者は肌脱ぎとなって越王に敗者の礼をとった。

「かつて越王様は和議を申し込まれ夫差もこれを認めました。それを思い起こされまして寛大なお心をお願いいたします」

これには越王もなびこうとしてしまうがこれを止めたのが忠臣・范蠡だった。

「その和議の時伍子胥は絶対に許してはならない、と言ったのに夫差は越を許してしまった。それを見習うつもりですか。二十二年の苦労を捨ててしまうのですか」と進言して和議の使者を追い返した。

とはいえ越王は心が痛みせめて島流しにして命だけは救いたいという。それならばと忠臣・范蠡も認め使者を送った。

 

しかしさすがに呉王として国を失うのであれば生きるつもりはないと使者を返した。

呉王・夫差は「伍子胥には先見の明があった。それを聴かなかったわたしが浅はかだった。私は自決するがあの世で伍子胥に合わせる顔がない。わしの顔は布で包んでくれ」

と言い残した。

 

こうして伍子胥の進言を聴かなかった呉の国は滅亡した。

越王は房を哀れに思って手厚く葬った。そして夫差の心を伍子胥から引き離した佞臣は打ち首となって晒しものとされた。

 

伍子胥の苛烈な復讐劇は成らないままであったしその人生は虚しく終わった。

とはいえ伍子胥の死によって端午の節句が行われたこととか、さらにはそこからボートレースが発祥したとか数々の故事成語を残したこととか伍子胥によって生み出されたものが今も多く残っているのだ。