ガエル記

散策

『史記』第十四巻 横山光輝

呂后凄いな。どんな男の話より恐ろしい。

とはいえこれを言っちゃおしまいだけど本当なのかな、という気はする。

中国の悪女伝説多すぎでそのほとんどが凄惨すぎ。呂一族を抹殺するための劉一族の言い訳で呂后を極悪女に仕立てたのではないかと思ってしまうんですが、お話としては面白いってことで語り継がれたのではというのは穿った考えでしょうか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

第1話「呂氏の陰謀」

前181年に起こったの日食は呂后の心に大きな不安を与えた。劉氏を次々と謀殺していった祟りだと思ったのである。

呂后は大きな祭壇を造らせそこで厄払いをしたのである。

その帰途のことである。

大きな青い犬が突然呂后に襲い掛かりその肩に嚙みついたのだ。しかし誰もそれを見ていない。そして噛みつかれたはずの肩にも何の痕も残っていなかった。

呂后は「夢を見ていたようじゃ」と笑ったが心の中では気になっていた。

占い師に占わせると「戚夫人の子ども如意の祟り」と出たのだった。如意は呂后が毒殺した幼い男子である。

それから二三日後、青い犬にかまれた場所にっ腫れものができ呂后の容態は悪くなっていった。

呂后は趙王・呂禄と梁王・呂産を呼びそれぞれを各上将軍にして劉氏と戦えるように手を打った。そして呂氏一族の繁栄を望んだのだ。

前180年、呂后はこの世を去った。

呂后の遺詔により呂産が相国に呂禄の娘が幼帝の后となった。

右丞相陳平は相変わらず酒と女に溺れ、周勃は軍事長官でありながら一兵も動かせぬ立場となった。

斉の哀王の弟劉章は呂禄の娘を妻にしていた。そのために呂氏の企みを耳にした。劉章は兄・哀王に呂氏の陰謀を手紙にして使者に届けさせ哀王は諸侯に檄を飛ばした。

こうして斉は長安に向かって進撃を始めた。

呂氏はこれを迎え撃つ討伐隊を向かわせたがその将軍に任じられた灌嬰自身が呂氏を討伐しようと考えていた。灌嬰は出陣したがすぐに部下たちと話し合い諸侯に使者を送った。

斉陣にも灌嬰が味方である報告がなされる。

 

右丞相陳平もまた「漢朝を立て直す時だ」と悩んでいた。そこへ現れたのが陸賈だった。

陸賈は呂后が支配を始めた頃早々と隠居を申し出た人物だった。陸賈は陳平に周勃将軍と親交を深めるよう勧めた。「漢朝の運命は丞相と周勃将軍にかかっているのです」

酒と女好きという噂を広めている陳平はそれを利用して宴会を開き周勃と仲良くなっていった。

 

第2話「呂氏誅伐」

陳平と周勃は話し合いを深めていった。

酈商老人を人質にとって息子の酈奇に呂禄を操る策略をこうじた。漢朝の忠臣である酈商は喜んで人質となった。

 

呂産は領国を失い急いで劉氏一族の反乱を抑えて呂王朝を作らねばならないと宣言した。

しかし呂産はすでに軍権が周勃の手に渡ったことをまだ知らなかった。

 

とはいえ呂産は部下を引き連れ未央宮へ向かい閉じられている殿門を開けよと命じた。が、宮中護衛は門を開けることはできない、と命令を拒否した。

呂産は強行突破を命じた。

 

この報を受けた周勃は劉章に兵を預け向かわせた。

劉章は謀叛人呂産を追い詰め討ち取った。

呂氏一族のクーデターは失敗したのである。

これで呂氏一族は老若男女の別なく捕らえられ処刑された。

趙王・呂禄も燕王呂通も同じ運命だった。

 

一人の独裁者呂后が死んでわずか二か月後に呂氏一族はことごとく誅殺された。

ここに漢朝は新しい時代を迎えていくのである。

 

第3話「栄光と恐怖」

呂一族が誅滅された朝廷は今あらたに大臣たちの権力闘争が危ぶまれる状態となっていた。

陳平は周勃に「今の帝は恵帝の本当のお子ではない、という報告が入っている」と伝えた。「呂后は漢朝を乗っ取るために仕組んだのだ」

ここで重臣たちによって正しい皇帝を選ぶ会議が行われた。

喧々諤々の結果、代の恒王が一番ふさわしいということになる。

さらに恵帝の子と言われる男子たちは長安の屋敷に幽閉されることとなった。

 

が、代の恒王は突然の事態に「天下を治める器量などない」と言って断ったのだ。

陳平は二度三度の使者を送っても断られ四度目にしてなんとか長安へ赴くという次第になった。

代王は重臣たちから協力してもらえるという約束をされてついに皇帝になる決意をした。

そしてその日のうちに呂后が用意した男子たちは誅殺されたのである。(なんということだ)

 

新しく即位した文帝は周勃を父のように敬っていた。

その様子をみた陳平は安心して隠居できると考え周勃に丞相の座を譲りたいと文帝に申し上げた。

しかし文帝は陳平の教えを請いたいということで周勃を右丞相、陳平を左丞相とした。

 

こうして周勃は臣として最高位となった。

このことに忠告する人物がいた。

「もし一つでも落ち度があれば誅殺される恐れができたのです。ご用心ください」

この言葉に周勃はぞっとした。

周勃はこの時から用心するようになってしまったのだがその用心が却って疑いを呼んでしまった。

周勃は冤罪で投獄されてしまうのである。

むろん周勃救援の動きが起き彼は救い出された。

劉邦時代の最後の功臣・周勃は静かに隠居暮らしを始めた。

これは漢朝が新しい流れで進みはじめたことを示すものだった。

 

って、周勃さん怖がりすぎ。

陳平さん頭良いけどちょっと意地悪な気もするなw

最期までかっこいいままだった。

そして登場した袁盎、面白い人物だ。

 

第4話「直言居士・袁盎」

その袁盎の物語。タイトル通り物凄く直言する人物である。

その言動はすべて正義と正論でできていて面白いのだけど文帝としては息が詰まる。

ここで寵姫である慎夫人が「ならば栄転させては」と進言した。頭良い。

 

袁盎は隴西の都尉に任じられる。隴西は中国西北にあってたびたび匈奴の侵攻を受けていた。

赴任した袁盎は部下を可愛がり面倒をよく見た。そのため部下は袁盎のために命を惜しまず戦った。

その後、袁盎は斉の宰相に封じられた。

 

文帝は思い出し笑いをして息子に訳を聞かれる。

「斉王もさすがに悲鳴を上げているそうな」袁盎は斉の宰相になって斉王を諫め続けているのだ。

「だがそろそろ斉王も楽にしてやってもよいな」

袁盎は呉の宰相に任命された。

出発前に袁盎は身内でささやかな宴を開いた。

ここで袁盎は甥っ子から「呉では諫言は控えてくださいませ」と言われる。「呉王は傲慢で有名です。しかも周りは奸臣邪臣でいっぱいです。これらの連中を糾弾したりしたらたちまち暗殺されてしまうでしょう」

「ふむ、ではわしは何をすればよい」

「酒でも飲んで暮らし時々、謀反はなさらぬように、とだけ言っていればよいでしょう」

「わかった。その忠告覚えておこう」

 

袁盎の甥っ子も出来が良い。

 

袁盎は呉に赴任して甥の忠告通りの生活を始めた。

余計なことを言わなかったので呉王に厚遇された。

 

前157年文帝が崩御、太子が即位した。景帝である。

帝が変わると側近も変わった。その中に袁盎と犬猿の仲である晁錯がいた。

晁錯の策略で袁盎は投獄されてしまう。晁錯は景帝に彼の死刑か流刑を求めた。

景帝は父・文帝が「あの男は正直で信頼できる」と言っていたのを思い出し晁錯に「そこまで厳しく罰する必要はない。官位を剥奪し隠居させよ」と命じた。

 

がここで呉楚七か国の劉氏が反乱を起こす。晁錯の厳しい法に反発して晁錯を討てとの大義名分を経てて反乱を起こしたのである。

駒って景帝は隠居させた袁盎を召し出した。袁盎は呉の宰相もしていたので呉に詳しいからだ。袁盎は景帝と二人きりになって「諸侯の大義名分は晁錯を討つということです。晁錯がいなくなればこの乱は鎮圧できます」と進言した。

「つまり晁錯を殺せということか」

袁盎は呉の脅威とさらに匈奴に対する守りもおろそかになる不安を説いた。

 

こうして晁錯は殺害されたのだ。

 

袁盎恐るべし。