ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第四十九巻

孔明表紙絵5・5回目。ちょっと昔を思い出してしんみりしてしまいます。

ヒーローがいなくなってしまったんだなあ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

南の国の雰囲気は良いが孟獲はそれどころではない。

これでは戦にもならぬと祝融の弟帯来に身を寄せて再起を図る場所はないかと尋ねた。

帯来は東南に七百里行くと烏戈国があり国王は兀突骨、藤甲軍という精鋭を抱えている、と答える。

藤甲、というのは山藤の蔓を半年あまり油につけ日に乾かすというのを何度となく繰り返して後鎧を作るからだ。その鎧は水に浮き、さらに矢や刀を通さぬほど強靭だという。

孟獲はその話を聞いて兀突骨に協力を願うことにした。

 

烏戈国の住民は崖にある洞窟に住んでいる。孟獲兀突骨大王の住居へ案内された。

三国志演義での兀突骨は3メートル近くある大男(?)となっているらしいが横山三国志では2メートルほどのイメージだろうか)

兀突骨孟獲達にご馳走を勧めるが蛇や猿の頭と言ったものが並んでおり孟獲たちはとても口に入らなかった。

とはいえ兀突骨は蜀軍討伐には非常に協力的であった。

 

さて孔明は銀坑の蛮都に入るやよく徳を布きこれを治めさらに奥へと向かって兵を進めた。

無数の蛮兵たちもいま孔明と共に行動した。

 

「桃葉江の渡し場に蛮軍が陣取っている」との報が入る。

孔明魏延に偵察を命じた。

魏延が出向くと向こう岸に三万ほどの軍が見えた。

さらに兀突骨が象にまたがり兵士たちが藤甲の鎧をつけ泳ぎ渡ってくる。

魏延は矢を射よと命じたが藤甲はそれらを撥ね返してしまう。

剣で斬りつけてもその鎧には通らない。

これに気づいた魏延は兵たちに引き揚げを命じた。兀突骨はご満悦である。

 

孔明魏延の報告を受ける。呂凱は「烏戈国の藤甲軍であろう」と助言した。

呂凱は藤甲軍の脅威と桃葉江の水の危険性を訴え「丞相こんな野蛮んな兵を相手にせずもはやこの辺でお引き揚げになることを進言します」

しかし孔明は「ことを成しかけて終始まっとうしないほど大きな罪はない」と答えた。

そしてこの辺の地形に詳しい者を呼ぶように指示した。

 

翌日孔明は地形に詳しい者を案内にして偵察に出た。

とある谷に近づくと孔明はその名を聞く。案内は「盤蛇谷と申します。谷を出れば三江城に通じる街道になりまする」と答えた。



陣に戻った孔明はまず馬岱を呼び「黒い棺」の中に入っているものについて指示した。そして「このことが漏れて敗れた時はそのほうを軍法に問うて罰する」と伝える。

次に趙雲を呼び指示した。

次は魏延。敵の真正面に陣を取れと命じると魏延は「今度は負けません」と答える。「早まるな」と孔明。「もし蛮兵が攻めてきたら陣を捨て白旗の立ってる陣まで逃げよ」と指示した。

魏延は「逃げる?」

「すべて作戦じゃ」と孔明は伝える「半月のうち十五度戦い十五度敗けよ」

「一度でも勝ったらわしの前に出ることを許さぬ」と言い切った。

 

次は張嶷馬忠に指示を伝えた。

「よし。これで蛮地の平定は成した」

 

さて「蜀軍が正面の渡しに陣を築き始めました」との報を受けた兀突骨は出陣を始めた。

魏延は「ほどほど戦って白旗の立ってる陣まで逃げるのだ」と命じる。

矢を射かけ槍で戦った。そして引き揚げの号令をかける。

追いかける兀突骨孟獲は制止した。「孔明というやつは詐術に富んだ奴深追いは禁物」

兀突骨は追うのをやめた。

 

これを見た魏延軍は再び同じ場所に陣を築いた。

 

翌日藤甲軍はまたも魏延軍に襲い掛かった。魏延は懸命に防戦し機を見計らって白旗の見える第二陣へ引いた。

戦っては敗れ、敗れたと見せ敗走を続けた。

戦うこと十五日、白旗のなびく陣まで敗走すること十五度。捨てた陣は七か所。まさに藤甲軍の前に敵なしという感じであった。

藤甲軍は連日の勝利に沸いていた。

孟獲兀突骨は勝利の酒宴を開き酔いしれた。

 

兀突骨は出陣し蜀軍を捜したが姿が見えない。

とある谷に出た。盤蛇谷である。

斥候を行かせると「伏兵のいる様子はなく食糧が散乱し大きな箱車が十何両も置き捨ててあります」

兀突骨は「ほう」となり分捕り品を見ようと案内させた。

確かに食糧を積んでいるらしい車と黒い箱の車が連なって置き去りにされている。

「それっ追撃を続けろ」と兀突骨が号令をかけ進撃した。とその時谷の上から合図の声がして材木岩石が落とされ谷間の道が塞がれてしまった。「こしゃくな」と兀突骨は「引けっ」と命じた。

と藤甲兵が「谷の入り口も塞がれました」

つまり兀突骨と藤甲兵は谷に閉じ込められたのである。

その時谷の上から火が投げ込まれた。

この棺のような箱には硫黄・焔硝など火薬が詰め込まれさらに無数の竹紐火薬が詰め込まれ導火線の役目をはたしていたのだ。

油と蔓で作られた鎧は刃物や水には強かったが火には弱かった。

藤甲軍は進むも引くもならず兀突骨をはじめ悲鳴をあげながら焼け死んでいったのである。

藤甲軍三万が丸焼けになる様を孔明趙雲魏延達は見つめた。

ふと魏延が目をやると孔明がはらはらと涙を流していた。

「丞相、作戦は成功です。何をお悲しみになりまする」

これに趙雲は「丞相は南蛮平定を決意された時から苦難に立ち向かうお覚悟はできていたはずでござる。ことを成しては滅び滅びては象をむすぶ。それが数万年来変わりなき大生命の姿ではございませぬか」

趙雲は「この蛮土に徳を植え残しておかれれば後々殺戮と掠奪のない平和な土地となりましょう」

孔明は「将軍よく言ってくだされた」と感謝した。

 

他の将が孔明に質問した。「地面からも火が噴き出していたように見えましたが」

「地雷と申す火薬の玉を地中に埋めておいたからじゃ。わしが若い頃から工夫していたものだが南蛮の未開地ゆえ持ってこさせた」

特によく描かれているように見えまする。

孔明魏延に礼を言った。

この谷におびき寄せるために魏延将軍に十五度敗けてもらう必要があった。悔しかったであろうがよくやってくれた。

「いえそう聞けば十五度の敗戦、魏延かえって誇りに思いまする」

 

この頃孟獲はまだ兀突骨軍の全滅を知らなかった。

そこへ洞の兵らしき軍勢が近寄ってきた。頭らしき男が平伏し兀突骨大王が決戦の後孔明を盤蛇谷に追い詰めたとのこと、孟獲大王もすぐ来られて孔明の最期をご覧あれとのお言葉です、と伝えてきた。

これに孟獲は喜びすぐに出陣した。

孟獲が陣を出たという知らせが入る。王平張翼孟獲を追った。

孟獲は盤蛇谷の入り口が塞がれているのを見てまたもや孔明の謀だったと気づく。

銅鑼の音に慌てて逃げようとしたが兀突骨の勝利を知らせた男も敵の回し者であり孟獲は逃げ道を失う。

それでも逃走するとそこには四輪車に乗った孔明がいた。

「ぬううわしはつかまらんぞ」またも向きを変え逃げ出す孟獲の前に綱が張られた。馬がつまずき孟獲は投げ出されてしまう。

捕縛され陣へと連れていかれた。

が、陣幕の前で縄は解かれた。

中に入ると祝融夫人をはじめ仲間たちが席に座っているではないか。

ひとりの男が入ってきた「孟獲大王に申し上げます」

「フフフいよいよ打ち首か。もう覚悟はできているわ」

しかしその男は「丞相は徳を持って烏戈国を服従させることができず皆殺しにしてしまったことを恥じここには来られませぬ。貴殿を許すゆえ今一度軍勢を集めて勝負をつけに参るようにとのことでございます。今日はこのままお引き取りくださいませ」

「いかに野蛮なわしらでも七たび虜にして七たび許すとは聞いたことがない」

孟獲は「丞相にあわせてくれ」と頼んだ。

「会ってどうなされます」

「詫びさせてくれ。この通りじゃ」孟獲は頭を垂れた。

 

孟獲孔明に会い跪いた。

「命を助けられること七たび、いかに野蛮人といえどもこれで大恩を感じぬものはおりませぬ」

「やっとわしの気持ちがわかってくれたか」と孔明は言った「これから共に栄えよう」

「そちは以前のとおり南蛮国王として蛮土の民を愛しわしに変わって王化に勤めてくれ」

この言葉に孟獲は泣いた。

 

蜀の建興三年秋九月。南蛮平定を成した孔明は帰途についた。

各洞主が見送る列は壮大なものであった。

が、濾水にさしかかると波風が荒れ渡ることができなかった。

孔明は「河の治まるまで待とう」と野営を命じた。孟獲が「この河には荒神がいて祟りをいたします。その時に四十九人の首を供えて祭ると波風がやわらぎ渡れます」と進言した。

孔明はこの言葉に驚きそれを制止した。「戦は終わった。血を流してはならぬ。わしにはわしの方法がある。勝手なことをしてならぬぞ」

孔明は河が荒れるたびに四十九人もの人命を断つとはなんという悪習だ。これは改めさせねばならぬ、と考えたのだ。

 

孔明は料理人を呼び「まず牛馬の肉を丸め人間の頭位にして小麦粉をこねてかぶせよ。それに鼻や目をつけて人間の首のようにして四十九個急いで作れ」と命じた。

孟獲孔明に使者に呼ばれた。河に供え物をするというのである。「丞相自ら首を集められたか」と出向くとそこには人間の頭のような作り物がずらりと並んでいた。

「これは人の首ではございませぬが」と孟獲が問うと孔明は「あの小麦粉の中には肉がつまり人の首と変わらぬ。これを饅頭(マントウ)という」

「饅頭」と訝しむ孟獲に「読んで字のごとく饅頭じゃ。これを濾水の荒神や死んでいった兵士の霊に捧げるのじゃ」と言って孔明は大勢の南蛮人の見守るなかで祭文を読み上げ供え物を濾水に投げ込ませた。

「南蛮王。これで濾水の荒神も静まる」

「はい。そういう方法があるとは知りませなんだ」と孟獲は答えた。

まもなく濾水は治まった。別に供え物のせいではなく治まるべくして治まったのである。

だが南蛮人たちは饅頭で河の流れが治まったとみた。

孔明は工作隊に橋をかけさせた。

橋が完成に河を渡る際に孔明はずっと見送ってきた孟獲に別れを告げた。

「丞相もう少し送らせていただけませぬか。丞相に惚れました。できることならいつもおそばに仕えとうございます」

「そうもいかん。そちには南蛮国を預けてある」という孔明に「ではもう少しだけでも」と孟獲は平伏した。

かくして孟獲孔明との別れを惜しみ永昌郡までついてきたのである。

 

永昌郡についた孔明は案内役を任じた呂凱に礼を言った。いずれ帝より恩賞の沙汰があろう。

次に孟獲に約束通りここから引き返せ。よいか善政を施せ、と命じた。

遠征万里、百難百戦生きて帰れるのが不思議なくらいであった。

孔明成都に凱旋した時はすでに冬であった。

成都の上下はわきかえるような歓呼と熱気で孔明と遠征軍を迎えた。

 

うわああああ。長い長い南征だったあああ。

読むだけでも疲れた。当事者たちの苦難は想像に難くない。

しかし孔明が賢いだけでなく徳のある優しい人物であるかがよくわかる南蛮平定の物語でした。

馬謖の登場、そして孟獲に惚れられる孔明のすばらしさを堪能しました。

 

とはいえやはり横山光輝の描写力に恐れをなします。この疲れる物語を丹念に入念に描かれる力量よ。

横山三国志の魅力が色あせないのはこの綿密な表現なのだと何度も思わせられます。