ガエル記

散策

『史記』第五巻 横山光輝

この絵も謎絵ではないだろうか。とげとげ鞭が痛そうだ。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

第一話「刎頚の友

刎頚の友の言葉はさすがに知ってたけどこんな話だったのかあ。

ますます変な関係の図に見えますな。

とはいえ物語はまず秦の猛将・白起がいかに勝利していったかを伝える。(負けたことがない猛将だったよね)

その白起を抱える秦国公が趙の恵文王が手に入れた名玉「和氏の璧」を欲したことで趙は騒然となる。「和氏の璧」と秦の十五城を交換しようというのである。

強大国・秦が求める通り交換すべきか、いやそんな条件は嘘に決まっていて璧を取られるだけだ、という大論争となる。

 

この「和氏の璧」もまた逸話がある。春秋時代、楚の卞和という人物が名玉の原石を王に献上したが疑われ片足を切断され次代の王にも献上したがもう片方の足も切断され山の中で泣いていたところ、更に次の王によってその原石が名玉と認められ素晴らしい璧に出来上がった。王は卞和に今までの不明を詫び多大の恩賞を授けその璧を「和氏の璧」と名付けたのである。

 

さて強国秦の交換要求に趙は藺相如という使者を立てる。

藺相如は大臣・繆賢の食客にしかすぎないのだがかつて繆賢の亡命をとりなした知性がこの難しく勇気の要る取引にも有効なのではと思われたのだ。

趙王の前で藺相如が誓った「しかし秦王が城を渡さぬのなら璧を完うして趙に帰ります(璧を無事に持ち帰ります)」といったことから「完璧」という言葉が生まれた。

 

果たして藺相如が「和氏の璧」を持って秦王に会うと秦王は周りの女性たちに触らせ十五城の話などなまったくしない。藺相如は璧を取り戻し秦王の無礼をなじった。そして「私を殺すのなら璧もろとも頭を柱にぶつけて死ぬ」と叫んだ。

秦王は慌ててそれを止め藺相如に礼を尽くした。自らも身を清めたのである。

 

しかしその間に藺相如は共に璧を持ち帰らせ「秦国は約束を守ったことがないので璧は持ち帰らせた。十五城を渡すのなら璧を献上します」と毅然と告げた。

大臣たちは怒ったが秦王は彼らを止め藺相如を丁重に送り返したのだった。

そしてこの交換は行わないことで決着した。藺相如は上大夫にとりたてられた。

 

数年後秦は無敵の白起に趙侵攻を命じた。趙は多大な被害を受けた。が、秦王は趙王に友好の会談をしたいと申し出てきた。

趙王は恐れたが廉頗将軍がこれを諫め「行かなければ趙の弱さ卑屈さを示し秦をますますつけあがらせます」と進言した。藺相如も同じ意見だった。そして「それがしも一緒に参ります」と言った。

趙王はしぶしぶ会談へ向かった。

秦王は盛大な宴席を設けて趙王を迎えた。

宴もたけなわになり秦王は趙王に琴を弾いてくれと頼んだ。

趙王がやむなく琴を弾くと秦王は記録官にこれを記録させた。

これを見た藺相如は秦王に「この瓦盆をたたいて興を添えていただきたい」と申し出る。

秦王はやむなく

藺相如は記録官に「秦王は趙王のために瓦盆を打つと記録されよ」と命じた。

その後も秦側が趙王になにか言い出すたびに藺相如は智勇を持って対処に趙王を蔑むことを許さなかった。

 

無事帰国した趙王は藺相如の功績をみとめ。上郷(大臣)にとりたて同じ上郷の廉頗将軍より上位に置いた。

 

これに廉頗将軍は怒った。もともと食客にしかすぎず口先だけの男は数々の軍功をあげた自分より上なのが我慢ならなかったのだ。誰彼かまわず「わしはやつと会ったら必ず辱めてやる」と罵った。

これを聞いた藺相如は病気と称して家にこもってしまった。

ある日側仕えに勧められ外出した藺相如は廉頗将軍が来るのを見つけ道を変えさせた。藺相如の家臣たちは主人のこの態度に不満を持った。

藺相如が廉頗将軍から逃げ隠れしている振る舞いに我慢ならないと申し出たのだ。

これを聞いた藺相如は家臣たちに「廉頗将軍と秦王のどちらが手ごわいか」と問うた。「わしは秦王と二度にわたって堂々と渡り合った。そのわしがなぜ廉頗将軍を怖れる」

そして「あれほど強大な新がなぜ我が国を攻めないのか。それはわしと廉頗将軍が頑張っているからだ。今わしと廉頗将軍の間が上手くいかなくなったらそれこそ秦の思うつぼなのだ」

家臣たちは藺相如の深い考えも知らず愚かだったと許しを請うた。

 

この話はたちまち宮中に広まった。(すぐ広まるよねwww)

 

ある日藺相如はある屋敷の主人に「連覇将軍をお連れしているので会ってほしい」とたのまれる。将軍を玄関払いにはできませんとこれまで会うのを避けてきた藺相如は承諾した。

藺相如が出迎えようとすると

「それがしは藺相如殿の深いお心も知らず愚かしい態度を取りました。穴にも入りたい気持ちです。この荊の鞭で心ゆくまでお打ちくだされ」

「廉頗将軍。何をおっしゃいます。あなたがおられるから他国は趙に手を出せぬのではありませんか」

ここが好き。

 

こうして二人は酒を酌み交わした。

 

「藺相如殿、わしは相如殿のためなら頸を刎ねられても悔いはない」

「それがしも同じである。廉頗将軍のためなら喜んで頸を刎ねられましょう」

 

その友のためなら頸を刎ねられても悔いはないという「刎頸の交わり」または「刎頚の友」という言葉はここから生まれた。

 

秦はその後藺相如と廉頗が元気なうちは趙へ侵攻しなかったのである。



第三話「便所の屈辱」

 

タイトルからしてちょっとなんだがそういう話である。

范雎は貧しい家の出で魏の中大夫・須賈に仕え魏の国の使者として斉に行ったのだがこの時斉王が范雎を賢人と聞いて贈り物をしたことから謀反人の疑いをかけられてしまう。

須賈は魏の宰相・魏斉にこれを訴えると魏斉もまた怪しみ須賈に范雎の拷問を命じた。

 

無実の范雎は拷問の上簀巻きにされ便槽に放り込まれて来客から放尿されるという屈辱を受ける。

范雎は番人に頼んで助けられ友人の鄭安平の家でかくまわれ名を張禄と改めて秦へと逃亡した。

秦でもすぐには芽が出なかったが王に意見書を出して取り立てられ客卿となった。

范雎は秦の昭王を天下人に仕立て魏を見返してやりたいという大望を持って突き進んだ。

昭王は強くなり范雎は宰相に任じられた。

やがてついに范雎はかつての屈辱を晴らすことになる。

魏の宰相・魏斉の首を討ちとらせたのだ。

その首を見て范雎は涙を流した。

しかし范雎は次第に鬱々とするようになる。昭王からの寵愛を受け磐石の地位があっても心は晴れなかった。

ある日、説客から「天寿をまっとうしたければ昭王様が生きておられるうちに隠居されることです」と言われはっとする。

 

昭王から惜しまれながらも范雎は権力の座を捨てた。

のんびりと余生を送ったのである。

知恵者らしい身の処し方であった。

 

ううむ鮮やか。

悲惨な出だしから始まり一気に出世街道を駆け上がった者が最期は栄華から離れて終わるとはなかなかできないことです。

それにしても悲惨が悲惨すぎる。