ガエル記

散策

『史記』第十巻 横山光輝

第1話「函谷関への道」

昨日も書いたのですが本作読むまで私は勝手に項羽と劉邦のイメージを作っていて項羽=すらりとした長身イケメン、劉邦=ずんぐりしたすけべのんべおっさん、と思い込んでいたのですが本作でその虚像は崩れ落ちました。

まあまああくまでも本作は横山光輝氏のイメージなのだから絶対ではないのでしょうがもう以前のイメージを保つことはできません。

特に項羽覇王別姫もあってロマンチックな美丈夫を思わずにはいられなかったのですが本作項羽はあまりにもそれと違いましたね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

劉邦劉備玄徳のご先祖というのも作用しているのでしょうか。

というかそもそも横山氏は項羽のような剛力の男と劉邦のような柔和な男の対決を描くことが好きで終始していたようにも思えます。どの作品もその構図があるのではないでしょうか。

 

例えば『バビル二世』においては剛力の男・項羽に値するのがバビル二世であり柔和に部下と共に戦っているのがヨミの方だといえます。

バビル二世の「絶対ヨミを殺す」という意気込みは正義の少年という以上の狂気すらありますが項羽にもそれを感じます。

若き日に描いた『バビル二世』ではバビルが勝ったものの『項羽と劉邦』において歴史においてはそうでもない、という思いもあったのではないでしょうか。

 

項羽は二十代の若き勇者ですが本作を観てるかぎりどうも可愛げがないしあまりにも皆殺しすぎ過酷すぎで悲劇の英雄という憐みの感情が湧きません(今のところは)

 

 

第2話「関中一番乗り」

変わって劉邦です。

力も後ろ盾もなくすけべでのんべですでに40歳越えの劉邦がなぜか人に好かれるという一点だけでのし上がっていく。

これは子孫劉備玄徳にも備わっていた不思議な魅力です。(すけべのんべではなかったが)また思い込んだら突撃していく項羽と違って他の人の意見を聞きながら取り入れて道を探していく劉邦の姿は観ていて楽しい。

やはりバビルよりヨミなのでしょうか。『バビル二世』では圧倒的なバビル二世君の攻撃にヨミは弱っていくのですが『史記』ではバビル的な項羽よりもヨミ的劉邦の方がじわじわと勝っていくのです。

 

ところで横山マンガに絶対出てくるこの横から画面の急ぎ歩きは絶対観たい。

さらに横山ユーモアが楽しい。

ぴかりと光っている。

 

とにかく劉邦はじわじわと遠回りをしながらしかし項羽よりも早く咸陽に到達したのだった。

なぜ項羽が遅れを取ったのか、彼はひとつひとつ全滅皆殺しをして進んでいたからであり劉邦は戦わずにすむなら戦わずに進んだからなのでしょう。

 

咸陽の宮殿には素晴らしい宝物と美女たちがいたがこれも部下の進言に従って劉邦は手を付けないで我慢した。

これは秦の民からの信用を得ることにもなったのだ。

そしてこれまでの秦の小難しい法律と威張り散らす獄吏に嫌悪していた劉邦は「法は三つのみ」という簡単な法律を作る。

これは民に大いに受けた。

(実際にはそんな簡単にはいかないだろうがそれくらい今までとは違う、ということなのだろう)

 

さて咸陽に先に入った劉邦だが曹無傷という男の密告で項羽に疑いをもたれてしまう。

直接対決となってしまえば劉邦項羽に勝てるわけがないのだ。

劉邦項羽にひれ伏して謝罪する。それを見て項羽は気分を直し宴席を設けて戦勝を祝った。酒を飲みながら劉邦は卑屈な態度で項羽をおだて項羽はすっかり優越感にひたっていった。

項羽の参謀である范増はここで項羽劉邦を暗殺させるつもりだったのだが項羽にはもうその気はなくなっていた。

が、范増はここで劉邦を殺しておかないと後々悔いを残すと思い項荘に剣舞を見せて劉邦を殺せと命じた。

項梁は項荘の思惑を察して剣舞の相方となって劉邦の盾になりながら舞った。

劉邦の参謀である張良が樊噲に告げて樊噲の知恵で事なきを得た。

 

第4話「咸陽炎上」

タイトル通り項羽によって咸陽は滅ぼされる。

そして項羽はそれぞれの将軍を各地の王としていく。

劉邦はもっとも「左に遷(うつ)す」こととなった。(これが左遷の語源らしい)巴・蜀・漢中がそれである。

いわば秦時代罪人を流した僻地が劉邦に与えられた領地となった。

項羽自身は故郷の楚を望んだ。

 

これも後に劉備が蜀を選ぶ元になっているのだろう。

 

項羽は義帝を殺し逆らった斉王を死に追いやり斉の兵士もことごとく生き埋めにした。

 

さてこうして項羽の殺戮と破壊は人々の怒りを掻き立てた。

覇王の運命はいかに。