ガエル記

散策

『史記』第十一巻 横山光輝

ネタバレしますのでご注意を。

 

第1話「国士無双

韓信物語。

韓信のまたくぐり、と言えば有名なのだろうけど実を言うとよくわかっておらず今になって「ああこういうことだったのか」と納得した次第です。

香港映画などでなにかというとまたくぐりをさせて相手を貶める場面がかつては多くて「なぜこんなに好きなんだ?」と思っていたのですが韓信だったのかと何十年後に気づく。

 

韓信、貧しい平民の子で容姿も見栄えしなかった、と横山先生は書いておられますが実際のキャラクターはわりとイケメンに描かれていて見栄えしないとは思えないw横山先生は活躍する人はハンサムに描きがちなのでそういうことなのだろう。

韓信は学問をしたが働くこともなく浮浪者になった。貧しい老婆に昼食をめぐんでもらうほどに何もできない男だった。

そのくせ剣だけはぶら下げている姿を町の荒くれ者からからかわれ例の「またくぐり」をさせられる。

韓信はこの時「おれが学問をしたのはこんな奴らと命のやり取りをするためではなく一国一城の主になるためなのだ」と考え「恥は一時、志は一生だ。我慢をしよう」と笑われながら男の股をくぐったのだ。

 

まもなく農民一揆が起り反秦の火が広がっていった。韓信もまた世に出るのはこの時と楚軍の項羽に従ったのだ。

韓信はただの雑兵にすぎなかったが次々と献策をした、しかしそれら献策は無視されホコリをかぶっただけだった。

ある日、劉封が関中一番乗りをした、という報が入った。項羽将軍は劉邦を攻め滅ぼすつもりらしいという噂と共に劉邦が賢人の言うことに「よく耳を貸して勝利した」とも聞いた韓信はその言葉に魅力を感じた。

噂通り項羽将軍は劉邦を僻地である蜀・巴・漢中へと追いやった。が、韓信劉邦軍に応募したのだ。(応募というんだ)

 

漢中の桟道を通過すると劉邦は次々と焼き払ってしまう。これを見た他の兵士たちは困惑したが韓信はこの処置に感心した。

これで項羽は安心し、間者の貼りこむ余地もない。東進するための準備も心置きなくできる。

 

韓信はとある罪をかけられ斬首されそうになるがその際に言った「漢はこれから国を興さねばならぬ時、天下を望まんとする上が何故壮士を斬る」と言い放ちこれを聞いた夏侯嬰は蕭何丞相に申し上げる。

蕭何は韓信に会って彼の兵法の知識を知って高く評価した。

それ以後蕭何は何かと韓信を思いやった。そして劉邦韓信こそ国士無双と賛辞し大将軍として任命するよう進言した。

 

名もなき雑兵から突如大将軍に任じられた韓信はこれ以後凄まじい働きをしていく。

劉邦に東進の命令を出させて突き進んだ。様々な策略をもって次々と城を攻め落としていった。

その速さに項羽は援軍を送る間もなかった。劉邦韓信を得て天下取りに動き出したのである。

 

第2・3話「壊れた友情」

魏・大梁の人である張耳と陳余は刎頸の友であった。

魏が秦に滅ぼされた後もふたりは共に楚に亡命し屈辱を受けた時も支え合った。

ふたりはいつしか懸賞金がかかるお尋ね者になっていた。

 

その後農民・陳勝が蜂起しふたりはその軍に加わった。そして別動隊として趙を攻めることとなった。

そして将軍武臣を趙王にし張耳は丞相に陳余を大将軍になったのだ。

 

しかしそれは陳勝を怒らせた。そして李良将軍の謀反によって趙王はあっという間に討ちとられた。そこでもふたりは共に脱出した。

そして改めて趙王の子孫を王とした。

これを苦々しく思う李良将軍は再び攻めたが陳余将軍によって撃破される。

李良は秦の章邯将軍のもとへ逃亡した。

 

章邯将軍は趙王より先に趙の要害である邯鄲を破壊することにした。

これは陳余と張耳にとって衝撃だった。今滞在している小城ではひとたまりもない。

張耳は趙王と共に鉅鹿へ向かい、陳余は軍再編成のために常山へ向かった。

 

これを知った秦の章邯将軍は王離に鉅鹿を攻めさせた。

張耳も懸命に防戦したが落城も時間の問題だった。

 

陳余将軍は駆け戻ったが秦軍の数に傍観するしかなかった。燕や斉の援軍も駆け付けたがそれもまた同じく陣を張って立ち止まっていた。

それを見た秦軍は兵糧を運ぶ道路を作り始めた。秦軍十数万の兵糧を絶え間なく送るためだ。

それに対し鉅鹿城の兵糧は底を突きかけていた。張耳は陳余に「刎頸の交わり」を訴えて秦への攻撃を要求したが陳余将軍は「趙滅亡を避けるため今戦うことはできない」と動かなかった。

「今ここで玉砕しても何の役にも立たない」

別の将たちがいきり立ち五千の兵で戦いを挑んだがあっけなく討ちとられた。

「言わんことではない。これでは犬死ではないか」と陳余は言った。

 

ここに項羽将軍が駆け付けてきた。

そして傍観している援軍を見て蔑み秦の補給路を襲った。

その上で秦の本陣を攻撃したのだ。

 

この知らせを受けた趙の援軍は勢いづき秦軍に突入していった。

食糧を絶たれてしまった秦軍はすっかり弱り果て王離将軍は捕らえられ秦軍は敗走した。

こうして趙王と張耳はやっと鉅鹿から脱出できたが張耳は陳余の行動に納得できなかった。

 

ふたりは「刎頸の交わり」について言い争った。

陳余は将軍をやめると言い放ったが張耳は引き留めもしなかった。

 

陳余は黄河のほとりで漁師となった。

一方、趙王と張耳は項羽軍に加わり関中をめざした。

 

秦は滅んだ。

項羽は諸侯に論功行賞を行った。趙を分割し趙王を北の辺地の代の王にし、張耳を常山王とし信都を都とした。

陳余は三県を与えられたに終わった。

これに陳余は不満を持ち斉王田栄に兵を借りて信都を攻めた。張耳はかろうじて信都を脱出し劉邦の元に身を寄せた。

一方陳余は趙王を代から迎え入れていた。

 

さて韓信を得て東進を始めた劉邦は諸国に使者を送り協力を取り付けていた。

趙にも使者が来た。

陳余は使者を受け項羽討伐の協力を申し出られた。

陳余は賛同したが一つだけ条件がある、と伝えた。「劉邦のもとに身を寄せている張耳の首をいただきたい」

 

驚いた劉邦に「偽首を届けては」という進言があった。

塩漬けになった生首を見て陳余は「協力する」と返事した。

 

第4話「睢水の合戦」

劉邦の軍は五十六万にもふくれあがり楚の彭城に迫った。

項羽は斉を鎮圧している途中であり劉邦をまだ見くびっていた。

范増は項羽を諫めたが効果はなかった。

 

が、劉邦軍はあっという間に彭城を落とし劉邦は連日祝宴を開き楽しんだ。

この報を聞いた項羽はやっと劉邦の正体に気づき范増の戒めを聞いた。

項羽軍は疾風の如く彭城を目指し劉邦を襲った。

 

女と寝ていた劉邦は慌てて起き出し逃げ出した。

項羽軍三万は五十六万の漢軍の中に突入し容赦なく斬り殺していった。項羽の強さはまさに鬼神といえた。

漢軍は敗走したが十余万人が殺されさらに川に飛び込んだ者たちも矢の雨をあびて無数の死者を出した。

 

劉邦は夏侯嬰の御する馬車に乗って息子と娘と共に逃げたが途中で追ってに見つかってしまう。

項羽は降伏してきた者でも生き埋めにしてしまう男だ。劉邦は恐れをなした。

そして馬車に乗せていた子どもたちを次々と道へ放り出したのだ。

これを見た夏侯嬰は馬車を止めた。「天下というのは仁徳で治めるものです。慈愛の心無くして万民はついてきません」夏侯嬰は王子と王女を再び乗せて走りだした。

 

劉邦項羽と戦って七十二敗し最後の一戦で勝利した。

それゆえ人々は劉邦を百敗将軍とあだ名した。

それにしても睢水の敗戦は劉邦の最もブザマな敗戦であった。

 

子供を放り出して自分だけ逃げようとする劉邦

「こどもなんぞいくらでも作れる」

夏侯嬰がいてくれてよかったよ。夏侯嬰はあの夏侯一族だよな。