ガエル記

散策

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その12

あー言えばこう言う。

瓔珞ならばひろゆき氏とも渡り合えるであろう。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

恩師であり姉とも慕った皇后の死後、瓔珞は義兄妹となった袁春望と共に円明園の雑役女官となります。

しかし太皇后の誕生日祝いが行われたのを機に運命が大きく変わります。

 

ここでまたもや『如懿伝』と重ねますがあの間抜けな(失礼)衛嬿婉(瓔珞にあたる人物)がなぜあのように出世したのかいまいち納得できませんでしたが本作を観ればなるほどと理解できます。

 

欲のない瓔珞がどういう理屈で皇帝の妃になるのか?と思っていましたがそう来ましたか。

やはり自己のためではなく他のためだったのでした。

気になるのは義兄・袁春望の復讐の言葉ですがさてどうなるのか。

 

そして無知だった衛嬿婉=瓔珞が教養を高めていくのも同じですが本作の説明のほうがなるほどです。

 

しかし一番の差異は李玉ですよね。

『如懿伝』ではすっきりしたイケメン宦官だったのが『瓔珞』では随分お太りに。彼も『瓔珞』のほうが楽しい。

これは比較ではありませんが葉侍医が出てくるとほっとします。

 

 

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その11

ついつい見惚れて文章を書くのを忘れてしまいます。

瓔珞を好きになってしまうのは当然ですね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

辛者庫の苦役からやっと逃れた瓔珞は皇后の元へと戻ります。

高貴妃に突き落とされ流産の上昏睡状態だった皇后がついに目覚めますが長く病床にいたために足が動かなくなっていました。

瓔珞はすっかり仲良くなっていた明玉とともに皇后のリハビリに勤しみます。

この時期が一番幸福な時なのではとさえ思えます。

しかしその幸福と引き換えになったのは富察傅恒の愛情でした。

富察傅恒と結婚した爾晴は皇后付きの女官で落ち着いた優しさがある女性だったのが傅恒との結婚が決まって以来人が変わって残虐となります。愛していた傅恒から愛情を受けられないばかりか残虐さを誹られ復讐を誓うのです。

そしてかつては皇后の親友で穏やかだった純妃も子供を持ってから皇后と張り合うように変わっていきます。

 

つまり瓔珞だけがまったく変わらず皇后だけを想い続けていると描いているのですね。

 

しかし後宮物語の常ですがまたもや陰謀により皇后は不幸になります。それもちょっとしたつまらぬ企みによって。少しだけ用心すれば避けられるような。

どうしてこうも皇帝が阿保なのかと歯噛みしてしまいます。

後で宦官を死刑にする暇があったら先に善処できないのかと当たり前のことを考えてしまいます。

とはいえ現在の世の中でも悲しい事故や事件が起きるのも同じことではあるのですよね。

 

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その10

もうすっかり『瓔珞』迷になってしまいました私です。

それぞれの良さがあるので選択する必要はないのですが比較していくと『如懿伝』よりも確かな深みがあるのですね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

そうでした。

『如懿伝』で炩妃の美しさを認めて「私の妻になれ」と呼びかけ彼女がこれを断ると「ではお前が上り詰めていく手伝いをしよう」といういわばメフィストフェレスの誘いをしたのが宦官の進忠でした。そしてそれがかなわない時はあきらめて私の妻になれというわけです。宦官でありながら色欲を持ち且つ強い権力志向を持っている怪しげな雰囲気の人物だったのでした。

それが本作ではなんと自分は皇族なのにもかかわらず運命の悪戯で奴婢の身分として蔑まれる存在になっている、このままではおられるものかという人物として描かれていきます。

この意識が真実なのかどうか、そして『如懿伝』の進忠にあたるキャラクターなのだったらこの先の彼の運命は?と気になります。

しかしこのふたりの関係性も『如懿伝』では悪役としてのおぞましいものだったのが本作では納得の「良い関係」として描かれます。

とはいえ今後もそのまま進んでいくのかどうかはわかりませんが。

 

そして傅恒侍衛が凌侍衛ならばどうなっていくのでしょうか。

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その9

第32話まで鑑賞。

これは確かに賞賛を浴びるはずですわ。

ずっと『如懿伝』との比較をしてきたのですが両作品はどちらも2018年に放送されていると記されています。なのでどちらかが影響を受けて作ったわけではないはずですが同題材でここまで真逆の内容になるのも不思議なほどです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

同じく乾隆帝後宮を描いたものですが視点はまったく違います。

『如懿伝』は皇帝と如懿の双主役となっていてふたりとも生まれついての貴族で裕福な人生を送ります。如懿が冷宮に入ることはあっても苦役を強いられることはなかったわけです。そしてその中で瓔珞にあたる令妃は生まれが卑しくそのために無学で教養がなく愚かだと描かれていました。彼女だけでなく貧民の出である玫嬪も阿箬も精神の低さを批判される作品でした。

つまり高貴な女性が人徳も高く下衆な出自の女性は精神も低いと描写されていたのです。

一方本作では(今のところ)何の後ろ盾もない瓔珞が自らの知恵と度胸で周囲の善き人たちと連携しながら生きぬく姿が描かれていきます。

最初はそこまで思っていなかったのですが辛者庫に入ってからの展開は『如懿伝』ではまったく描かれなかった民衆の苦しみが描かれていて瓔珞はその代表として活躍していきます。

辛者庫の宦官・袁春望との物語はその真髄とも言えそうです。

とはいえ本作品はまだ半分に到達してもいませんからその言葉は時期尚早でしょうか。

 

高貴妃の最期。なんという虚しい最期ですか。

芸人のおじいと孫が可哀そうでしたがまさかこんな仕返しを考えるとは、瓔珞恐ろしい子です。

皇帝に愛されたいがための最期の踊りは美しいというよりただただ恐ろしいと記憶されてしまいそうです。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その8

急転直下。

これも必ずある設定ですね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

才気煥発。学問はなくても持ち前の知恵で陰謀渦巻く後宮を生きぬき皇后のお気に入りとなった瓔珞。

ついに姉の仇を討ちました。しかも自ら手を下すことなく天命を求め落雷によって仇敵を絶命させたのです。

 

しかし事の次第を聞いた皇后は怒り瓔珞を長春宮から追い出し辛者庫へ送ったのです。

そこでは人が嫌がる辛い仕事が課せられます。

瓔珞がまず与えられたのは便器の清掃でした。

 

『如懿伝』で如懿が冷宮に入れられ悲惨な生活を送らせられるように本作でもヒロインに過酷な運命が待ち構えるのです。

おもしろいのはどちらでもイケメンが登場してヒロインに希望を与えることです。

『如懿伝』ではそれこそ如懿の恋人と疑われてしまう凌雲徹が登場しますが本作でも辛者庫の女たちの憧れの的である宦官という人物が現れます(以前登場しましたね確か)

無口で不愛想な人物ですが彼がどう関わってくるのでしょうか。

 

それにしても傅恒との関係がどうなるのでしょうか。謎です。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その7

うっかりしました。

 

本作『瓔珞』と『如懿伝』の比較を続けて共通点と差異を挙げてきました。

その中で「本作の高貴妃は『如懿伝』には不在」と書いていたのですがよくよく考えてみたら「高貴妃」は『如懿伝』での「高晞月」ですね。あちらではほとんど「慧貴妃」と呼ばれていたので思いつきませんでした。

しかし有力者の娘ということでも寵愛され自由奔放な性格で艶やかで芸能に秀でている、とそっくりそのままなのですから思いつくべきでしたね。なのに高晞月は琵琶の名手で高貴妃は京劇という違いですっかり惑わされてしまいました(言い訳です)

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

最後の最後まで引っ張るのかと思いきや早い段階で姉を冒とくした男が露見しました。

もちろん瓔珞が徹底的に攻撃するのですが相手は皇帝の仲良しの弟でしかも呆れるほど低俗な馬鹿男でした。

しかしこの男の出現で富察傅恒の瓔珞への恋心が一気に加速します。

 

そして姉を殺した真犯人はなんとその男の母親である太后だったのです。

一見穏やかな貴婦人が邪悪な心を持っていました。

 

あまりにも力の及ばぬ仇敵に瓔珞は思い悩みますが何の知恵も浮かびません。

この時皇后から諭されます。

「いつか天の時、地の利、人の和が訪れる」

瓔珞の悩みを解消してくれました。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その6

(優美な皇后様。大好きにならずにおれません。ちょっと松坂慶子さんを思わせます)

 

確かに面白いです。

よくもこう次から次へと知恵が回るものだと感心します。

私的には清朝のコナンと名付けたいですね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

皇帝・皇后・皇太后に敬意を持ちつつも彼らの権威を利用して敵をやっつける。

日本でもこうしたドラマはありますがここまであからさまに徹底的に成敗してくれる、しかもそれが一介の女官だというのが痛快です。

 

しかしやはり気になるのは瓔珞が『如懿伝』での最大の稀代の悪女、毒婦である令妃になるということです。

この二作品は同じ皇帝の後宮を舞台にしていますから登場人物や物語は重なっています。

令妃となる瓔珞(衛嬿婉)は皇后の側に仕えます。この設定も同じですが受ける印象はまったく違う。

『如懿伝』は如懿=嫻妃が主役なので後の令妃は敵ですが本作を観ていると嫻妃の存在感の無さ。

逆に言えば主人公というのは見方次第ということなのでしょう。

 

嫻妃がこの後皇后になるのは史実なわけですが令妃の描き方がどうなっていくのかわくわくせずにはおられません。

私と逆に本作『瓔珞』の後で『如懿伝』を観たという経緯の人はどのような感慨を持つのか、気になるところです。