ガエル記

散策

『カモンカモン』マイク・ミルズ

ホアキン・フェニックス主演で観始めたのですが今一番気になっている「疑似家族」ものだったので座りなおして鑑賞しました。

 

かつて家族映画は多くありその中で「仕事をして稼ぐ強い父親・食事を用意し掃除洗濯をする優しい母親・父を尊敬し母の愛情に感謝する子ども」という姿が描かれてきました。

が、その理想の家族像は虚偽でしかないことに気づき始めた人々は家族物語から離れ描いても権威主義の父親・絶望する母親・反抗する子どもたちという姿を表現しました。

家族の姿をまったく描かない、という手法も最近は多くなっていました。

その中で少しずつ新しい形の家族物語が描かれてきています。

 

その形はもうかつての一組の男女が結婚し夫と妻となりやがて子供が生まれ父と母となるというものではなくなっています。

疑似家族であっても男が夫そして父親役として金を稼ぎ女が妻・母親役として家事をするという形はあり得ない。それは単なるかつての「家族の形」の移し替えに過ぎないからです。

家族のの形が虚偽だと知ったのに再びその形の疑似をしても仕方ないのです。

 

さて本作はそうした「疑似家族」の実験のひとつです。

主人公はシングルマザーである妹から一人息子つまり主人公にとっての甥っ子を預かります。

主人公男は一時期の育児など簡単だと思っていたのですが「実際の子ども」は思ったようにはいきません。

 

まったく思ったようにはいかないのです。

男はまさに精魂尽き果ててしまうのです。

 

愛を手に入れるのは難しい。

それは暴力でも金銀でも叶うものではなく毎日の思いやりの積み重ねでしかできないことだから。

 

快楽コンテンツは「してもらう」ことしか描かないけどすべての人間がそうであれば「愛」は育たない。

 

『尚食』その8

人間は食べなくては生きていけないので食の話は重要なのですよ。

例えば幼児期に読む絵本や童話でも「食べ物」が出てくるお話はどれよりも記憶に残りやすいのではないでしょうか。

日本で人気の『ぐりとぐら』のパンケーキ『白雪姫』の毒リンゴ『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家などなど。

それが美味しいものでも毒のはいった怖ろしい食べ物でも危険へと誘われる罠であっても食べ物が出てくると俄然興味が出てくるものです。

 

本作では最初は様々なご馳走として登場し暗殺目的の毒入り食事がありそして飢饉や戦争で追われた民衆への炊き出しが描かれます。ドラマの始まりでも戦い終わった兵士たちへの炊き出しのエピソードがありましたね。

 

『水星の魔女』ではスレッタが初めて食べたトマトそして皆で食べようと思ったランチボックスが自分の分だけない、というショックで泣き出す場面など「食べること」で物語を導いていくのが印象的でした。

 

そして『チェンソーマン』ではデンジが「ジャムを塗った食パンを食べるのが夢」だったり血を飲むことで生き返ったり居酒屋でわいわい皆で食事する場面が楽しそうだったりします。

 

面白い作品は「食べ物」が有効的に使われている、と思うのです。

 

さて本作も大詰めになってきました。

ヒロインと敵になっていた女性たちのそれぞれの道が描かれていきます。

ついに次回で完結ですかね?

楽しみです。

 

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』大森立嗣

ただただ幸せな映画だった。

だってケンタとジュンは相思相愛でずっと一緒に旅をしているだけなんだから幸せ以外のなにものでもない。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

正直カヨちゃんはふたりにとってはちょっと邪魔者で、と思っていたら案外早く置いてけぼりにしてしまって結局ふたりきりで旅してるという幸せ感。

これ以上何を望むことがあるの?

大好きな人といられないのなら悲しい映画だけどずっと仲良くいられて幸せなまま終わってのだからこれ以上幸せな物語はないのじゃないかな。

例え二人が別の人生であっても出会えないままだったのなら不幸だし馬鹿でもなんでもいいから好きな人といられるのならそれでいいのだと思う。

おまけに本当この映画ではそんなに嫌なことは起きてない。

 

気の毒なのはむしろ新井浩文演じる男のほうじゃない?車はぼこぼこ自分は切り刻まれ最後も酷い目にあって何も良いことがない。ほんとうかわいそうだった。

 

カヨちゃんについては。

仕方ないとは思うけどそんなにブスではないのだからあまり気にしない方が良いですよ。どうでもいいんだよそんなこと。

 

やっぱり好きな映画と嫌いな映画というのはありますね。

大森立嗣監督作品はめちゃくちゃ好きです。

ほっとする。

『リスペクト』リーズル・トミー

アレサ・フランクリンの生涯を描いた伝記映画といえる映画作品です。

と言っても私は彼女のことを何も知らなったのですが、それだけに観ていていろいろと衝撃を受けました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

ひとつはもちろんアレサの歌唱力と魅力です。本作を観てYouTubeで本人の歌声を聞いて人々がどんなに酔いしれたかと想像するのも楽しいことでした。

またひとつ美しいものを知りました。

 

もうひとつは怖ろしいものです。

黒人への人種差別は周知ですがその黒人の中でも女性差別が酷いという事実も聞いてはきました。

しかし単なるフィクションではない本作のような伝記映画で女性に対する男性の考えというのがどんなものだったかを見せられると改めてショックを受けてしまいます。

本作はあくまでもアレサの歌声を賛美するために製作されたのでしょう。タイトルが『リスペクト』であることからも彼女の少女時代を暴いて描写するのは極力避けたのではないかと思われます。しかしその中で先輩女性歌手から「あんたら教会の人間はふしだらだ」と言われる場面で疑問が生じました。

ネットで彼女の生涯を読むと牧師である父親は女癖が悪く麻薬を使用した乱交パーティを教会で行うような男性だったと信じがたいことが書かれていました。しかしだからこそあの女性歌手は「あんたら教会の人間はふしだらだ」と言ったのでしょうし本作はその表現にとどめたのでしょう。アレサの母親はそれに耐え切れず家を出ていきます。(当然ですね)

アレサが12歳で子供を産んだこともわずかな秒数場面でお腹の大きくなった少女の映像で示されます。

もちろんその後まだ10代のアレサにふたりの男児が「ママ」と駆け寄る場面で解ることではありますが。

そしてアレサの奇妙な反抗と台詞で「もしかしたら彼女の父親が子どもたちの父なのか」とぞっとしましたがネット記事では〝そういう噂はあったものの実際は近所の少年が父親だとされています”と書かれています。

ではなぜ映画でははっきりと「近所の少年がアレサに近づく場面」を描いてないのか。

ポルノ的表現は避けて少年が登場するだけでもよかったのに?

 

そしてアレサは19歳で父親とケンカ別れする形で家を出新たな男と結婚し3人目の息子を産むのですが父親が不自然なほどこの男を毛嫌いする理由が明確に描かれません。

この男は売春斡旋業者でもうけていたのですから父親が娘の将来を懸念するのは当然ですがそこも隠してしまったために不思議な嫌い方になっています。

そしてアレサはその男から酷い束縛と暴力を受け続けることになるのです。ここはさすがに描かれていますがそれならば今までの省略を思うとどれほど酷い目にあっていたのかとさえ考えさせられます。

父親から引き離してくれる男性ならばと逃げ出したからなのでしょうか。

 

ここでやはりタイトルの『リスペクト』が効いてくる。

娘へのリスペクト女性へのリスペクト妻へのリスペクト。

『リスペクト』を作り皆で演奏しコンサートで歌うシーンは圧巻。

すばらしい。

 

しかしその歌を生み出すためにアレサ・フランクリンがどんな思いで生きてきたか。

その代償は過酷すぎるのです。

 

www.youtube.com

 

なんかめちゃ泣ける。

 

 

 

『ドッペルゲンガー』黒沢清

面白く鑑賞しました。

 

ドッペルゲンガーというか普通にもう一つの人格と思えました。

女性の方は弟の厳格を見、主人公は自分の欲望からもう一つの人格を出してしまったというわりにストレートな見方でよろしいのではないでしょうか。

 

主人公は才能はあるのかもしれませんが傲慢な人間です。自分ではそれを押さえているつもりでいるのだけどそうではない。

ほんとうに自分の姿を見ているようで痛い気持ちになりました。いや、才能がある、というのも思い込みのようにも見えますしね。

 

つまり映画の中でドッペルゲンガーを観ているつもりでいたら自分のドッペルゲンガーを映画の中に観てしまったというわけです。

 

永作博美演じる女性もなんかつかみどころのない奇妙な女性でもあり普通の女性らしくもありこちらも観てて痛くなります。

 

黒沢清監督が描く主人公男性はいつも空威張りで卑怯で狡いのがおかしい。他の映画ではかっこいい男性が描かれますが実際の男ってこうだろというのが潔しです。そういえばもう一人の黒澤監督の男はまさにそうですね。(もちろんちゃんとダメな男も描いていますが)

黒沢と黒澤のドッペルゲンガーとも言えます。

 

凄い低予算の手作り映画なのでしょうがそれでここまで面白い映画が作れてしまうのが凄い。

 

暗く思い作品ですが逆に気分をすっきりさせてくれました。

 

『水星の魔女』第一期12話まで

やってくれましたなガンダム『水星の魔女』

ほんわかスレッタぬでここまで引っ張ってきておいての第一期ラストこれ。

いやほんとうこれで第二期まで待たされるとは。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

「逃げればひとつ進めばふたつ」

なんだか怖い童謡の一節のようです。

スレッタはどうなってしまったのでしょうか。

そしてどうなってしまうのでしょうか。

ここまでイケイケのミオリネといじけおどおど狸スレッタの対比を見せつけていきなりの逆転劇。

いろいろな小競り合いはありながらもなんとかみんなと仲間になりたい一心で頑張ってきたスレッタ。でもなかなかうまくいかなくてそれがここにきてタガが外れたかのように。

 

どうなるのでしょうか。

でも信じたいね。歌詞がかなうと。

「宿命を超えて再び進め」

 

『尚食』その7

ほんとうつかみどころのないドラマです。

ヒロイン姚子衿は正直そんなに美女でも可愛いというほどでもないように見えます。この3人でも右側二人が美人さんではないですか。特に皇后はやんわりと優しくて文句なしのように日本人的には思えるのですが中国ヒロインはびしっと仕事ができて「仁義礼智信忠孝悌」を遵守する女性でないと務まらないのですね。

姚子衿はまさしくそのような女性でありその清々しさに皇帝は惚れ込んでいる気がします。

他のふたりは容姿も才能もあるのですがそうした徳に欠けているのです。

よく考えたら母上(皇太后)がびしっとした女性でした。姚子衿とよく似ていますから好きになるのは当然です。

 

その姚子衿と皇帝はこれまでなかなかよりそわなかったのがやっと仲睦まじくなってきて様々な問題も解決し始めてきた、と思ったのもわずか姚子衿自身が危うい立場になってしまいました。

 

側近である袁琦の悪行と呉妙賢の策謀はどうなっていくのでしょうか。

 

黒猫・硯ちゃんの具合も気になります。