ガエル記

散策

「昭和史裁判」半藤一利・加藤陽子 第一章広田弘毅 その1

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半藤一利(歴史探偵・作家)加藤陽子(東大大学院教授)となっています。冒頭で歴史の主役級の人々を登場させ半藤氏が検察官あるいは検察側証人、加藤氏が弁護人あるいは弁護側証人となる。被告は人間というより昭和史そのものという歴史法廷を行う、という説明がなされます。

 

とても面白い企画です。とはいえ取り立てて裁判仕立てで進行されるわけではありません。形式に固執せず対談されているのは大人の方法ですね。

 

さて第一章は「広田弘毅」(ひろたこうき、で変換できないのはちょっと空しかった。有名ではないのか)というかまだきちんと読んだのはここだけなのですが、自分の地元出身の名士なのですがどういう方なのか、まったく知らないという。それは単なる私の不勉強ではありますが、そのくらいたぶん地元でも誰も知らないのでは?と思ってしまいます。

日本の総理大臣になったこと、A級戦犯として死刑になったことだけはぼんやりと知っていましたがなんというか、あまり意識して考えたことがなかったのでもし急に「広田弘毅とは?」と訊ねられていても「よく知らない」と答えてしまったと思います。

案外地元の皆同じような感じではないかとすら思うのですが内容を読んでいくと「そういうことであまり話題にならないのか」と思うものでした。

勿論人の話は語る人によって違ってくるものです。私は最初にこの対談で広田弘毅の人物説明を知ったのでどうしたってこれが基準になってしまうでしょう。

ネット検索でその人となりを調べると次のようなものがありました。

www.ncbank.co.jp

半藤加藤裁判を先に読んでしまうとこれなど「ああいかにも地元が語る人物像ですね」としか言いようがありませんが、それぞれの違いに胸が詰まる気もします。

例えばふるさと歴史シリーズでは「天皇陛下から資質を見込まれて相談相手になると思われたのでしょうか」という問いに「広田さんが陛下にとくに信任に厚かったかはわかりませんが」と答えている箇所がありますが半藤氏の言では「(昭和)天皇は広田の事を『あきれるほど夢定言、無責任』と批判した学者に賛同しており広田が《名門の出》ではないことを訝しんでいる様子があります。上の質問には回答者は困ったはずです。

正直に答えるべきだったでしょうか。

 

一時に検索などしたので本著の内容かべつのものか判らなくなってしまっていますが広田が首相になった際に天皇から「名門をくずすことのないように」という言葉を賜っているのですが、《名門の出》ではない広田に対したこの言葉の意味はなんでしょうか。

 

この対談の中でこれも初めて広田弘毅の人生が描かれた小説がありテレビドラマ化もされたと知りました。

城山三郎著「落日燃ゆ」というものです。kindleで無料サンプルを覗くと当然ですがいかにもな英雄譚の冒頭の記述がなされています。

福岡市の石材店の長男として生まれた広田弘毅。彼の生い立ちは彼が総理になった時の父親の言葉「あれを育てるのに別に苦労なんかしまッせんたい。人間は飯さえ食わせとけば自然に大きうなるもんたい」良い話なのですが名家の物語ではない、ということなのですね。

習字が上手く勉学に励む優等生だったという少年時代。柔道でどんなに投げ飛ばされても相手に立ち向かっていく粘り強さがあったという。この柔道場が玄洋社の経営だっために広田は玄洋社とのかかわりが深くなっていき帝大法学部入学も玄洋社からの学費支援があったためのようです。

私は最近になって玄洋社を知り(こればっかです)興味を持っているのですが広田は生涯そのメンバーにはならなかったのです。

玄洋社の思想はとても興味深いと私は思っています。無論、まだ浅い情報しかないのに判りませんが広田が結局玄洋社に加わらなかったのは彼の思想をやはり考えてしまいます。

私が読んだ限りの玄洋社アジア主義や平等主義は着目すべきものがあると思えます。広田が玄洋社と関わりながら加入しなかったのはそうした思想が彼には馴染まなかったのでしょうか。

そこに彼が処刑される運命があったようにも思うのです。