ガエル記

散策

「昭和史裁判」半藤一利・加藤陽子 第一章・広田弘毅 その2

広田弘毅に関して私はまったくの無知で、この本を読んで初めてその人となりというかどのような評価を受けた人なのかを知りました。

昨日も書いたように地元では無論「福岡県初の総理大臣」(2番目が麻生太郎氏というのがなんとも。思い切り振り幅がある二人ですな)ということで紹介されたサイトには立派であったという形容詞が並ぶ。

wikiを読めばまたさまざまに考えさせられます。

城山三郎著「落日燃ゆ」服部龍二著「広田弘毅「悲劇の宰相」の実情」のサンプルなども覗きました。

次のリンク先はそうした広田の両極端な評価をよく教えてくれていると思いました。

jahistory.com

 

手始めに読んだ半藤氏の広田批判が鮮烈だったがためにそこから自分の広田像ができてしまったのですが、いろいろな文献に目を通していくと必ずしも半藤氏の評のみが正しい広田像とは思えなくなりました。

そして広田弘毅の写真を見てみるとそこに写し出されているのはなんとも人の良いおじさんのようにしか見えません。

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人の良いおじさんに見えれば良い人というつもりはありませんが、名門の出ではない、石屋のせがれであり、恵まれているとは言えない幼少期に勉学に励み地元に存在した玄洋社からの資金で帝大に入学してはいますが決して天才肌とは言えない努力型の才能であり、英語が苦手で高等文武官試験に一度落第し翌年に首席で合格するというのもそれを表しているようです。

名門の出ではない、というのは即ち人脈がない、という事になると思います。

広田のプロフィールを見ると三菱財閥の令嬢との縁談がありながらことわり、下宿の手伝いをしていた玄洋社の一員の娘である女性と結婚したことも彼の人脈を広げることができなかった敗因になりますね。もちろんそうした政略結婚をしなかったことに美徳を感じるか上昇欲がないと見るか、ということです。

 

昭和天皇に「名門を崩すことがないように」と言われたということが広田のすべてを物語っているようにさえ私は感じています。

 

天皇から「おまえは総理大臣になる器量ではない」と言われたということですね。

そして他の「お偉い方々」も同じく感じていたのではないのでしょうか。

 

半藤氏の考え方が間違っているとは言いませんが、広田という人物はまさしくこの価値観で働かねばならなかったのではないかと思います。

例えば「銀河英雄伝説」でラインハルトは結局姉アンネローゼを時の皇帝の妃にすることで後ろ盾を得てしまうことになります。そのことについて他から笑われ、ラインハルト本人が否定しても「金髪の孺子」が上り詰めるためにはスカートの中の大将に甘んじなければならなかったのは確かで著者・田中芳樹は必然と考えたのでしょう。まあそれでも、ラインハルトは名ばかりとは言え貴族だったという設定も必要だったわけです。

しかし現実の人物である広田はその何もなかったのです。

陸軍から組みしやすしと見られても広田は総理大臣になりたかったのでしょう、と半藤氏は分析していますが、果たして願望として広田にあったのか。「総理にされてしまった」のではないかとすら考えてしまいます。

半藤氏はまた「軍人に対する広田の弱さ」を糾弾していますが、あの時代の軍部の脅威を思うと裸で立っているような広田に何ができたのだろうか。例え命を投げ出したとしても「名門の出ではない広田」に何らかの価値があり得たのか。ひたすら時代の波に押し流されていく「背広の人」の姿を見てしまうのは単なる妄想でしかないのかもしれませんが。

 

「組みしやすい」広田弘毅はこの「大戦前夜」に総理大臣・外務大臣に着任「させられた」

半藤氏がいうとおり「弱かった」のです。彼は裸一貫、何のつながりも後ろ盾もなく、孤立無援であったと思います。

それは言い訳にはできない。だからこそ東京裁判で彼は何の弁明もしなかったのでしょう。

 

もう少し続きます。