ガエル記

散策

アニメ 「どろろ」(2019版)古橋一浩 鑑賞しました

f:id:gaerial:20190710064246j:plain

昨日書いたように途中が抜けてしまいましたが「どろろ」2019版鑑賞し終えました。

何度も書いていますが私は1969年版アニメを夢中になって何度も観ていましたし、マンガ「どろろ」は手塚マンガの最高峰だと思っている者ですがこの2019版もまた非常に魅力ある作品となっていると思っています。

 

惜しいのはたぶん予算上の問題で制作に費用がかけられなかった部分—現在の作画技術ならもっと上質に表現できるであろうーが見えてしまうことですが、それでも制作の思い入れが強く伝わってくる作品になっているのですね。

特に人物造形と心理描写は細やかな配慮がされているのがわかります。今のアニメによくある過剰な表情ではなく、演出によって描かれていくのです。

 

2019版「どろろ」最初は百鬼丸の変化に最初は戸惑いました。元「どろろ」の百鬼丸はやや年上に見えて男らしいたくましさがあるのですが新「どろろ」ではまだ少年の細いからだになり、昔は一種の超能力で会話が成り立ちどろろと出会った時には何の不便もない状態だったのが新「どろろ」では生活に介助が必要なほど頼りなさでただ戦う時だけひたすらに強い、という奇妙なリアルさを持たせていたからです。

 

そしてどろろ本人は、元「どろろ」では完全に男の子というより悪ガキだったのが新では最初から女の子であることが意識して作られ早いうちにそのことが鑑賞者にも伝えられるのですが、だからといってどろろ自身が変に女の子めいた言動に変わるわけではなく「どろろ」という一人の人間という意識で作られていくことに驚きを感じてしまったのです。

 

特に日本のアニメ界は「少女」に対する価値観が高い、という特徴があります。

 

「価値観が高い」といってもそれは「少女こそがもっとも若く美しいという女性として最高のエロティシズムを持っている」という意味での価値観であり少女を描くならそれは観客(ほぼ男性)の性的欲求を満たすものであるべき、という意味での価値観なのです。

ところが「どろろ」のどろろは昔の作品の時からもこの「最高の価値観」を捨ててしまっていました。

どろろが女性的な肉体をまだ持てない幼女であることも起因しますが可愛らしいロリータとしての要素さえひとつも持っていません。

ぼさぼさ髪に丸い鼻と図太い根性に憎まれ口。

 会話も表情もなくぼんやりと歩き続ける百鬼丸と可愛げのない悪ガキと人相の悪い琵琶法師というおよそ現在日本のエンタアニメにはないキャラ設定で決めたことは案外大変なことだったのではないでしょうか。

(他のリメイクアニメなどが続々と今風エロキャラ設定になっていることと比較してほしい)

勿論背後に手塚治虫関係者の目があることも影響しているかもしれませんが改悪されていく他作品を見ているとここまできっちり堕落せずにキャラ設定できたことを感謝したいというしかありません。

(余談ですが「ブラックジャック」も改悪してほしくないのです)(絶対見ません改変ブラックジャック…泣きたい)

 

そうしたキャラクターの改変を今風の悪い方向へ行かせなかったことも感心しますが、物語においての改変も原作から逸脱することなしに出来得る限り良い方向へ構築していった技量にも注目すべきと思います。

物語を大きく変えるか忠実に守るかはそれも作者の気持ちによると思います。場合によってはまったく違うストーリーにすることもいけないとは思っていませんが、古橋監督の手塚作品のイメージを損ねないような配慮はオールドファンにとっては嬉しいことでありました。

特に最後、マンガ原作は途中で切れたように終わってしまうのですが、その雰囲気を残しながら改めてまとめられていました。

 

しつこいですが自分が描いたマンガが「どろろ」に酷似していて後々気づいたのですが、百鬼丸が結局父親を殺せないところまで同じでした。私のは漫画原作のほうに似ています。

 

ところで漫画原作では(手元にあるのでこっちで)百鬼丸どろろに「女の格好をさせたかった」「もうちょっと女らしくなれよ」というセリフを言うのですが2019版アニメはそういう言葉をまったく言いません。

どろろが大人の女性になる未来的な場面とそれに微笑む百鬼丸、という映像のみで表現する演出にもとても賛同できます。

 

 

 ただ疑問だったのは寿海と縫の方の最期でありました。多宝丸の死は物語の設定(障害者は捨てて健常者は育てた親)の上で死を運命づけられているのかもしれませんが他のふたりは生きていてもよかったようにも思えます。

そのあたりも含めて「どろろ」についてはこれからも考えていきたいと思います。

 

ところでマンガ「どろろ」は手塚治虫の低迷期に描かれたと聞きました。「鉄腕アトム」などの子供向けマンガで大家となった漫画家が劇画などの台頭で苦しんでいた手塚氏がなんとか巻き返そうとして描きだしたマンガのひとつであると。

その時期のマンガに「バンパイヤ」「どろろ」「アラバスター」「きりひと賛歌」「奇子」そして「ブラックジャック」と続いていくのですが私はこの時期の手塚マンガが好き、というかこの時期の作品を読み育ったようなものだと思います。青年ものは大人になってから読んでいますが。

特に「どろろ」と「ブラックジャック」は私にとって手塚マンガツートップですし、主人公百鬼丸ブラックジャックは男性キャラクターでもっともかっこいい存在として譲れません。

マンガとして好きなものは他に「MW」「火の鳥」「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」などどんどん増えてしまいますが。

とにかくマンガを多く描き続けた手塚氏の低迷期に苦しんで描いた作品「どろろ」「ブラックジャック」には手塚氏の本質のようなものが出ているのではないでしょうか。

それは上で書いたように、二つの作品が非常に似通っていることにも表れているように思えます。

 

バラバラになった体を持つ「化け物」のような人間とそれを守ろうとする二つの魂の触れ合いにこそ真実の愛がある、と物語っている気がします。

そして私はそんな物語が大好きなのです。

 

どろろ」の話はもう少し書き続けたいと思います。