ガエル記

散策

アニメ「どろろ」1969版 観始めました。

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どろろ」好きだというわりにはあまりよく観ていないし読んでいない気がしてきたので今月は「どろろ月間」にします。(先月は「銀河英雄伝説」月間でした)

 

というわけで「新どろろ」に続き「旧どろろ」アニメ見始めました。

なんとモノクロームアニメなので怖さが際立ちます。当時はもうカラーアニメは当たり前だったのですが、残酷な描写が多いためにスポンサーの要請でモノクロームにしたという顛末なのですが製作者が「モノクロのほうが大人びて却って良い」としたのは正解だったと思います。

ただし視聴者の子供たちにはやはり受けなかった、というのが結果なんですね。いや、私は当時から夢中で観ていました。なぜ人気出ないのかがわからないです。当時の子供たちのマヌケめ。

 

若い方がこの作画クオリティをどう感じるのかわかりませんが、私は正直に言うとこの雰囲気や作画が今より魅力的に思えるのですよ。確かにもう少し良くしてあげたい部分はありますが。

 

まずは時代背景の描写のすさまじさ。子供向けアニメとは思えない恐怖があります。荒んだ社会を描くために骸骨同然となった餓死者のからだに虫がたかる様子を見せるというのは今ではあり得ないことに思えます。

地獄堂というお堂で醍醐景光が己の野望のために我が子の体を鬼神に捧げるという怖ろしい取引をします。

この設定の面白さは時代を変えて使うことができるし、鬼神という形でなく別の何かに応用できる。欲望のために我が子を犠牲にする、というおぞましさはいろいろな形で存在することだと思います。

 

そして百鬼丸

アニメ「旧どろろ」の百鬼丸のかっこよさはやはり私にとってはかけがえのないものなのです。

「新どろろ」で、どろろと出会った時の百鬼丸がまだなにもできない状態から次第に成長していく、という展開は上手い!と感心しましたが、昔人間なのでどうしてもこの大人びた百鬼丸が好きでしょうがないのです。

「足がはえてきた」と喜ぶ百鬼丸のぞくぞくするようなエロチックさ、助けてあげた村人たちから「化け物」と蔑まされ追い出されてしまう姿に見惚れてしまうのはおかしいのでしょうか。

エンディングテーマで歩いていく百鬼丸のアニメーションがまた好きです。

「旧どろろ百鬼丸はがっしりした体格で足や腕も太いのです。ほっそりした少年体型が主流の日本アニメ主人公では珍しい造形ですが私は子供時代から好きでした。

声優の野沢那智氏も子供声ではなく大人っぽい男の声で当てているのが嬉しい。マンガの百鬼丸はむしろ「新どろろ」のほうに近い少年として描かれているのは複雑な交錯ですね。

 

ところでやはり今の人よりも昔のほうが「男らしい」描写なのでしょうか。手塚治虫マンガの男たちは思った以上に男っぽい、マッチョなのですよね。

 今のマンガ・アニメキャラはこうした男らしさは薄れてしまっているのですが、それは良いことなのか、悪いことなのか、よく判らないところでもあります。

 

さて今日はここまで。まだまだ「どろろ」考、続きます。